2011年3月11日、東日本大震災が発生。システム開発に深く関わった四家千佳史の故郷・福島でも甚大な被害が出た。この時、四家は建機レンタル会社のトップになり横浜にいた。行方不明者の捜索に瓦礫の撤去、今すぐに大量の建機が必要になる。四家は被災を免れた建機があるかシステムで洗い出した。福島では130台のうち74台から応答があった。この建機を止めないためには燃料の供給が重要。今あるのは店舗の地下タンクに備蓄された12万リットルのみ。四家は現地に指示を飛ばした。ガス欠が近づいた建機から優先的に補給する。発生から7日目、四家は現地に入った。同業の会社は軒並み営業を停止。社員の安全を考え相馬店を休止しようと考えた。だが店長の山下は休止はできない。残って対応すると答えた。瓦礫っ撤去をしていた佐藤洋は津波で身内を失っていたが地震翌日から行方不明者の捜索活動に駆けつけていた。メカニックの星和延も避難先から戻ってきた。佐藤から油圧ショベルが動かなくなったと連絡が来た。メカニックの星和延はすぐに佐藤のもとに駆けつけた。大動脈の6号線で動いている建機に不具合がないか探し、修理に向かった。あれから14年、山下博貴は「われわれの使命は建機を止めないこと。それはしっかり貢献できたのかなと思う」などと話した。