- 出演者
- 有馬嘉男 森花子 佐野俊和 四家千佳史
有馬嘉男の挨拶。今回の主役はアルミボディの小さな箱。この箱は車体のあちこちに取り付けられたセンサーの情報を集約し人工衛星などで飛ばしている。インフラ工事や災害復旧の現場で建機を止めずに動かし続けることができる。このシステムが開発されたのはインターネットがまだ広がる前のIT黎明期 。その開発は苦難の連続だった。
オープニング映像。
1995年、阪神・淡路大震災。一刻も早い復興を目指し建設機械がフル稼働した。しかし現場の過酷さから故障が相次いだ。「建機を止めない」これは災害復旧を携わるものたちにとって悲願だった。佐野俊和は建機を販売する会社に勤めていた。建機の修理は販売会社やレンタル会社が担っていた。「壊れたのは機械のせいだ」「修理代はそっちが持ってくれ」など無理な要求が多かった。佐野は「建機がたまごっちになったらいいのにな」と思ったという。たまごっち当時はやったキャラクターを育てるゲーム。「お腹すいた」「ごきげん」など自らの状態を伝えてくる。もし建機が自分からSOSを発信してくれたらトラブルは減ると考えた。佐野は付き合いのあったコマツの社員に「建機のたまごっちがつくれないか?」とメールを出した。それを受けて数人の技術者が集まり、すぐに試作機を作った。建機の位置情報や稼働時間を人工衛星へ飛ばす。それをネットで修理担当者などに届けるシステムだった。建機に取り付けてテストさせてほしいと頼まれた佐野。テストするならふさわしい男がいると佐野は言った。その男は福島・郡山で建機のレンタル事業を初めて半年の四家千佳史だった。試作機の説明を聞いた四家は建機にデジタル革命を起こすと思ったという。15台に試着機を装着しテストを始めた。ところが半年後のこと、メーカーの役員が訪ねてきた。この開発を続けるべきか議論になっているという。四家は「この可能性をここで図ることはできない」と説明したが全く響かなかったという数日後メーカーから開発中止の連絡が届いた。四家は「建機1000台分のシステムを私が買う。そうすれば開発を続けられますか?」と言った。総額1億5000万円。小さい会社にとってとんでもない約束だった。
四家千佳史は「失敗したとは全く思わなかった。僕がやらなければ生まれてこないなら1000台分くらい安いもんだなってそんな感じだった。故障したときに居場所がわかりすぐに直せる。これはずっと昔からやりたかったこと」などと話した。
四家の決断により、開発継続となった新システム。コレを機に開発メンバーが2名増員されることになった。1人目は入社3年目の西畑孝志。会社では車体設計がトップでソフトウェアはいちばん下の地位だったという。どんな過酷な環境で使われても位置情報と稼働時間を正確に発信できるか、改良が繰り返された。期限まで1か月。突然、四家が「遠隔でエンジンがかからないようロックする機能がほしいと訴えてきた。このころ全国で建機の盗難が多発していた。四家の会社でも何台か盗まれ経営が危ぶまれた。西畑孝志らは通常2か月かかる作業を3週間で、やりきった。1999年12月、位置情報、稼働時間、遠隔ロックできるシステムが「KOMTRAX」が完成した。四家のk愛車ではシステムを使い、自社の建機がどこにあるのか一括して把握。遠隔ロックで盗難も食い止めた。外回りの営業が普及し始めた携帯電話で空き状況を確認できるようにした。リアルタイムで注文や修理に対応し業績を伸ばしていった。この成功が後押しとなり建機メーカーは1年後、システムを全車に標準搭載するようになった。決定したのは坂根正弘だった。坂根正弘は若い頃、現場に通いデータを集めた経験からこのシステムに注目した。データを集めるのは大変な作業だったという。しかし、この決定は大きな波紋を広げた。花形・車体設計の技術者たちはエレキの西畑に不満をぶつけた。西畑の上司・神田俊彦はエレキが日の目を見るチャンスだと言いチームを励ました。この頃、他社も同様のシステムを開発。激しい競争が始まっていた。このままでは他社に勝てないと神田たちは原点のアイデア「たまごっち」に挑むことを決めた。エラーコード発報機能、故障や不具合が起きた時に建機自らSOSを発信する機能だった。しかし期限が迫っても、最終検証がうまくいかなかった。期限ギリギリで完成するも、ソフトを端末に書き込む膨大な作業が残っていた。すると他のプロジェクトに携わっていたエレキの技術者たちが、書き込みは俺らがすると志願してきた。全てにソフトウエアを書き込み2001年、新システムが標準搭載された。しかし大きな評判を呼ぶことはなかった。
うつむく神田、西畑たちに、中国・上海の社員、シュウ・デンユウから「エンジンロック機能に需要がある」という連絡がきた。急激な経済成長に湧く中国。開発ラッシュにのり建機ビジネスが加熱していた。一方で建機購入に借りた金を踏み倒す業者も横行していた。エンジンロック機能があれば銀行は安心してお金を貸せるという。シュウはさらに燃料の残量を示す機能の追加を要望した。中国では燃料費が高騰していて、消費を抑えることが死活問題になっていた。現場の期待に応えたシステムが搭載されると注文が急増し膨大なデータが集まってきた。チン・リョウはデータを分析し、最も燃費の良い建機の操縦方法を見つけ出した。中国での成功を受け、システムは世界中で標準搭載されていった。
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何が開発条難しかった?と聞かれ佐野俊和は「前には進む、いくつものバグが治った。やったと思ったら次の日、いくつもバグがみつかるそれの繰り返しでやっと最後に動くものができた。みんなに感謝です」などと話した。四家千佳史は「こんなに苦労したんだと大変申し訳なかった」などと話した。
2011年3月11日、東日本大震災が発生。システム開発に深く関わった四家千佳史の故郷・福島でも甚大な被害が出た。この時、四家は建機レンタル会社のトップになり横浜にいた。行方不明者の捜索に瓦礫の撤去、今すぐに大量の建機が必要になる。四家は被災を免れた建機があるかシステムで洗い出した。福島では130台のうち74台から応答があった。この建機を止めないためには燃料の供給が重要。今あるのは店舗の地下タンクに備蓄された12万リットルのみ。四家は現地に指示を飛ばした。ガス欠が近づいた建機から優先的に補給する。発生から7日目、四家は現地に入った。同業の会社は軒並み営業を停止。社員の安全を考え相馬店を休止しようと考えた。だが店長の山下は休止はできない。残って対応すると答えた。瓦礫っ撤去をしていた佐藤洋は津波で身内を失っていたが地震翌日から行方不明者の捜索活動に駆けつけていた。メカニックの星和延も避難先から戻ってきた。佐藤から油圧ショベルが動かなくなったと連絡が来た。メカニックの星和延はすぐに佐藤のもとに駆けつけた。大動脈の6号線で動いている建機に不具合がないか探し、修理に向かった。あれから14年、山下博貴は「われわれの使命は建機を止めないこと。それはしっかり貢献できたのかなと思う」などと話した。
東日本大震災の復興について四家千佳史は「山下さんに避難してこいっていったんですけど、彼が残って復旧するんですって。私にできることはみんなを元気づけること位しかできなかった。とにかく建機を動かすんだって感じだった」などと話した。佐野俊和は「このシステムを作り上げて本当に良かったなと思った。こんな事ができるといいよねって夢を語ったのが形になってる」などと話した。四家千佳史は「新しいことをしようとすると失敗だらけ、これいいねって言ってくれる人はまずいない。それがいたらもう誰かがやってる。そういうものに負けないワクワク感を持つことが大事」などと話した。
2024年、1月の大地震、水害に見舞われた能登半島。復興を目指し今も建機が動いている。この日も、建機からのSOSを受けメカニックが現場に急行した。四家千佳史はコマツ本社に移り開発戦略先頭にたっている。遠隔システムは業界のインフラとなった。カンボジアでは地雷撤去に位置情報システムが活躍している。地雷が除去された荒れ地を次世代の建機が整備している。
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