- 出演者
- 田中瞳
オープニング映像。
9月下旬、池袋PARCOでポップアップイベントが行われていた。売られていたのはTシャツや小物の様々なグッズ。人気の秘密はどむぞうくん。1971年、日本マクドナルドが初出店。1970年にドムドムハンバーガーが初出店、最盛期は400店以上あったが業績不振で一時は27店にまで減少し、絶滅危惧種のハンバーガーチェーンとまで揶揄された。しかし、近年はハンバーガーを売らないショップで大きな話題を集めている。アパレルショップの屋外イベントではドムドムハンバーガーが出店し客を集めていた。どむぞうくんとなかまたち ボールチェーンは約40種類もある。仕掛人はドムドムフードサービス社長の藤崎忍。2018年に社長に就任した。戦略はこだわらない、ハンバーガー店だからこうあるべきはないと話す。藤崎は39歳まで専業主婦、夫の急病で収入が途絶えたことではじめて社会に出た。
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ドムドムハンバーガー 浅草花やしき店は和テイストの外装。こちらで売っているスーパー戦隊バーガーは連日売り切れ続出という責めた個性派バーガー。ドムドムではお好み焼きバーガーなど個性派バーガーが真骨頂。東京・向島で行われていたお祭りに藤崎の姿があった。向島は藤崎の地元で兄は現役の墨田区長。藤崎は1966年、東京・向島で生まれ、祖父や父は不動産業や地方議員としても活動していた。子どもの頃からコミュ力が培われていた。短期大学に進学し、のちの夫となる藤崎繁武さんと交際を開始する。繁武さんは当時、墨田区議選出馬のために藤崎の父の下へ出入りしていた。1987年に2人は結婚し、1990年には長男が誕生。2005年、繁武さんは東京都議会議員選挙に出馬したが落選。さらに、心筋梗塞となり働くことが難しくなり一家の収入は途絶えた。藤崎は39歳で初めて働きに出ることを決意した。藤崎は渋谷109で働くか、実家の仕事を手伝うかの岐路に立たされた。藤崎は2005年に渋谷109のアパレルショップで働き始めた。役職は店長、プレイングマネージャー人生のはじめてだった。藤崎は109を知ることからはじめた。仕事をしながら家庭のことにも気を配った。一人息子のこうきさんには諦めない気持ちを教え、自らもそれを守り続けた。夫の体も回復に向かい、2009年に再び東京都議会議員選挙に出馬しようとしていたが、夫を脳梗塞が襲い重度の障害を抱えることになった。藤崎は介護に勤しんだ。109での仕事はやめざるを得なくなる。介護と職探しをすることになった。
職探しと介護をすることになった藤崎は起業を考えたが、すぐに収入を得なければならなかったため新橋の居酒屋でアルバイトをはじめた。次第に常連客もつきはじめた。常連客から空き物件で自分の店をやってみたら?と言われて、金融機関から1200万円を借入しニュー新橋ビルで「そらき」をオープンさせた。当初は客の多くが友人だったが、1年たたないうちに連日満席の人気店となった。そんなとき、夫の繁武さんが危篤となった。うろたえる藤崎を支えたのは息子さんだった。夫を失ってから2年後、藤崎は常連客からドムドムバーガーの商品開発を手伝ってほしいと頼まれた。当時、ドムドムバーガーは赤字が続いていて、事業再生などを手掛ける企業が再建に乗り出そうとしていた。居酒屋の女将をしながら商品開発を担当することになった。藤崎は和のメニューを考えた。会社から正式に社員にならないかとのオファーを受ける。藤崎は2017年にドムドムフードサービスに入社を決めた。厚木店の店長を任され無我夢中で働いた。入社5ヵ月後にはスーパーバイザーに昇格した。藤崎はドムドムの改革案を上層部に進言していき、入社9ヵ月後に社長に就任した。藤崎は特に力を入れたのが新たな顧客層の開拓。アパレルブランド・FRAPBOIS、niko and…とのコラボなどをスタートさせ、就任3年目で黒字化を達成した。今、顧客開拓は海外にも向けられている。台湾にある百貨店のフードエリアでドムドムバーガーには長い行列ができていた。藤崎には他業種からも声がかかっている。カルチュア・エンタテインメントグループなどの社外取締役も務めている。藤崎の講演の依頼も全国から殺到している。
大阪・関西万博の一般入場者数は2400万人以上、経済波及効果は約2兆9000億円とも言われている。万博の会場の安全を守ってくれたのは警備員。半分のエリアを担当したのはALSOK、1日700人以上の体制で警備を行った。9月下旬、会場にいたのは社長の栢木伊久二。大阪大学教授・石黒浩氏がプロデュースした「いのちの未来」を訪れていた。ALSOKは万博内に3台のアバターを設置し、問い合わせの対応や案内業務を行っていた。ALSOKは売上5518億8100万円、連結社員数6万5053人の大企業。常駐警備は訓練を積んだ警備員が企業や施設に常駐。東京・墨田区の東京ソラマチでは100人以上のチームで日夜警備を行っている。大規模施設の警備には欠かせないのが警備ロボットのREBORG-Z。前面に1台、背面に2台のカメラで映像を常に録画・録音している。夜間は不審者検知モードになる。AEDも内蔵されている。ALSOKは1982年に警備ロボットの研究・開発に着手。東京ガードセンターでは警報機器の信号などを24時間体制で監視している。ALSOKといえばホームセキュリティ。家の警報装置が鳴った際に駆けつけるのは訓練された警備員。ALSOKの大きな業務が警備輸送。金融機関などの顧客の現金や有価証券などを特別装備の車両で安全に輸送する。栢木社長は入社以来、警備輸送の営業を担当していた。約2万8000台のセブン銀行ATMの警備輸送を請け負っているのがALSOK。これは栢木が勝ち取った案件。
2011年に発生した東日本大震災。ALSOKの栢木は現地で第一種災害対策本部を設置し、全国から4000人の警備員を招集した。ATMの盗難事件が発生したが、防護服を着用した警備員が原発から20キロ圏内で現金を回収した。栢木は2019ん円に代表取締副社長に就任。3年後には社長就任の打診があり、2022年に社長に就任。2025年には社名を綜合警備保障からALSOKに変更。今、力を入れているのが介護事業。支援ロボットの導入やデジタル技術の活用を進めている。とある日、栢木は居酒屋で日本酒の会が開かれ、社員たちと交流をしていた。