- 出演者
- 大江麻理子
オープニング映像。今回紹介するのはクリスピー・クリーム・ドーナツ社長・若月貴子、ローソン社長・竹増貞信。
2006年、日本中にブームを巻き起こしたクリスピー・クリーム・ドーナツ。しかし日本でのブームは嵐のように過ぎ去ってしまう。全国に64店まで急拡大した店舗数は2017年には44店まで減少。最大で8億円の赤字を計上するなど日本進出は失敗に終わったかと思われた。1番人気商品は「オリジナル・グレーズド」。生地の配合は正解でも数人しか知らない門外不出のトップシークレット。日本独自で開発した商品が人気を呼んでいる。現在の店舗数は日本上陸後最大の82店舗までに上昇し見事なV字回復を果たした。その立役者はクリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパン社長・若月貴子。若月が新卒で入社したのは西友。
クリスピー・クリーム・ドーナツ復活の立役者・若月貴子。新卒で入社したのは西友だった。ファミリーマートや無印良品も元は西友の事業として誕生。バブル崩壊後、業績は低迷。そんな中会社の再建に向け奮闘していた一人が若月だった。若月は入社3年目には海外事業の精算や子会社の売却といった業務を担当。慣れない仕事のストレスからか会社で吐血し十二指腸潰瘍と診断され1カ月の入院を余儀なくされた。入社12年目の2003年、マネージャーに昇進。相手の気持ちを汲み取りプライドをなげうって交渉にあたる先輩の言葉で若月は仕事に対する姿勢を改めることになったという。2005年西友はウォルマートの傘下となる。若月はアメリカ・ウォルマート本社での研修に抜擢。本人の中でこの頃からガラスの天井が見えたという。ガラスの天井は組織内で性別や人種などを理由に昇進を阻まれること。
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若月は働きながら1年の間転職を迷い続けた。転職への後押しになったのはキャリアの棚卸し。2007年、西友を退社し企業コンサルタントに転職。数々の企業再生に力を注いだ。2012年、クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパンに入社。経営企画や人事などを担当する管理本部長となりプレイングマネージャーとして9人の部下を率いることに。転職2日後、ある店舗を視察した時に整理整頓できていないバックヤードを見て若月は愕然とする。転職して早々に最大の岐路を迎える。若月はクリスピーを長期的に改善していくことを決断をする。まず若月が着手したのは統一した評価と正当な昇進ができる人事制度を作ること。生え抜きの幹部候補生を一から育てるため若手社員向けの研修を開催。
2017年、若月は代表取締役社長に就任。去年、クリスピーでは画期的といえる商品を開発した。「Kome-Dough 黒蜜きなこ」は米粉入りのドーナツ。これまでアメリカ本社から送られてくるドーナツ生地しか使えなかったがアメリカ以外の国で生地を一から作ったのは創業以来初。若月は現在、社長とマーケティングの部長を兼任している。
2014年、ローソンは成城石井を約550億円で買収。その舵取り役となったのは当時ローソンの副社長だった竹増貞信。2016年、ローソン社長に就任するとコロナ禍で冷凍食品の種類を約2倍に拡充したり7割の店舗で店内調理を導入。竹増は全国の店舗へ自ら足を運び続ける現場主義者。その数は年間約1000店。竹増は大学時代にポートランド州立大学に留学し周囲の学生の意欲や積極性に圧倒されたという。
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竹増は1993年、三菱商事に入社し畜産部に配属された。1988年に牛肉・オレンジの輸入自由化となり採算がとれなくなった牛肉部門は撤退。竹増は余った在庫の肉を売り切る任務を与えられ当時子会社だったリョウチクへ出向。ツテがなかった竹増は全国のスーパーの連絡先が掲載された名簿を購入。スーパーに頼みこみ自ら試食販売の現場に立ち何とか在庫の牛肉を売り切った。30歳で豚肉部門の課長になる。部下にも自分と同じレベルを求めてしまい当時の部長から営業マンとしては素晴らしいが経営者としては失格だと言われてしまう。そんな中、松下電器創業者・松下幸之助の「人を活かす経営」と出会う。以来、竹増のチームは一丸となり業績も上向きに。しかしまたもや辞令でアメリカ・インディアナ州の豚肉加工会社に出向。
アメリカでの出向生活から約3年、広報部へ行くよう通達される。営業畑で商社の王道を進んできた竹増にとってこれまで培ってきたものを会社に否定されたと感じた瞬間だった。岐路に立たされた竹増は広報を続けることを決断。その後広報部のチームリーダーに抜擢。
三菱商事で念願の営業に戻れると喜んでいた竹増貞信だったが次期社長就任が決まっていた副社長からは社長秘書を告げられる。厳しさの中で竹増は後の経営に繋がるノウハウをどんどん吸収していく。2014年、小林社長からグループ会社であるローソンへの転籍を頼まれる。
竹増貞信はローソンへの転籍を決断。2014年4月、一旦出向という形でローソンへ行き、5月に副社長に就任しローソンに転籍。2016年、ローソン社長に就任。今年ローソン経営には三菱商事とともにKDDIが加わり3社の共同体制を開始。竹増が目指しているのは地域社会の発展を実現する「ハッピーローソン・タウン」構想。プレイングマネージャーとしての挑戦はまだまだ続く。
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2024年9月29日(16:00)