廣瀬順子さんは15年前に視力・視野の大半を失ったが、その目で日常を送っている。夫・廣瀬悠(はるか)さんも左目はよく見えていないため、右目に残るわずかな視力が頼り。順子さんはパリパラリンピック・柔道女子57キロ級(弱視)で金メダルを獲得。3度目のパラリンピックでつかんだ金メダル。この金メダルは柔道日本女子初。8年前から取材は始まっていた。当時は結婚4か月で新婚だった。目は不自由だが、2人はとにかく前向き。悠さんは視覚障害者柔道の現役選手で、順子さんのコーチを兼任していた。パラリンピックに一緒に出て金メダルをとることが夢だった。2015年12月、柔道がきっかけで結婚。リオパラリンピックには夫婦で出場、順子さんは銅メダル、悠さんは9位だった。東京パラリンピックでは順子さんは5位、悠さんは7位だった。順子さんは小学5年生で柔道を始め、2006年にはインターハイに出場した。19歳の時、10万人に約4人が発症するといわれる難病「成人発症スチル病」になる。一命は取り留めたが、合併症によって視力・視野の大半を失った。順子さんは命が危ない時、やり残したことがありすぎて死んだら後悔すると思った。できていなかったことを生きている間にどれだけ楽しむかを考えるようになったと話した。退院後、22歳で視覚障害者柔道を始める。その先で夢と出会い、夫と出会った。東京パラリンピック後は引退して子どもをつくろうと思っていたが、準々決勝で敗退し、夢は叶わなかった。だから目指したパリの舞台。しかし、国際パラリンピック委員会が行った出場枠の見直しによって悠さんは障害の程度が基準から外れ、参加資格を失ってしまった。コーチに専念した悠さんと共に順子さんは課題を見つける。東京パラリンピックまでの得意技は一本背負いだったが、大会が終わってから相手に研究され、一本背負いがかからなくなった。悠さんはライバル選手を動画で研究。その特徴をコピーし、稽古相手となった。順子さんは対戦相手に合わせて大内刈りと体落としに磨きをかけた。パリパラリンピック当日、最大の山場は準決勝。相手選手に腕を取られたが、降参して負けるより、折れるまで我慢しようと思って耐えたという。その後、大内刈りで勝利。その後の決勝では体落としを決め、一本勝ち。金メダルを獲得した。10月下旬、2人はお互いへの気持ちをビデオレターにした。順子さんは悠さんのおかげで毎日楽しく過ごせている。一生一緒にいてほしいというメッセージを送った。