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「桂米朝さん」 のテレビ露出情報

昭和の始め、ラジオから流れる落語の時間がなにより楽しみだった中川清(後の桂米朝)。大正14年に始まったラジオ放送。ラジオは家族の娯楽を売り文句に浪曲からクラシックまで、ラジオ体操もこの頃始まった。多くの番組のなかで皆が一番楽しみにしていたのもは、昭和6年に大阪放送局が聴取者にアンケートをとったところ、ニュース、野球を抑えての1位は大阪落語だった。人気の中心にいた落語家が、のちに歌にもなる伝説の大阪芸人初代桂春團治。派手な身振りでお客を爆笑させ、話術も巧みで当時の音源が残っている。ラジオで落語の虜になった清少年。その後、父の持っていた落語全集を読みふけり、そこに登場する人間の面白さに心を動かされていく。一方、太平洋戦争が勃発し若者は次々に戦場へと送られていった。昭和20年2月、19歳になった米朝は招集され姫路の連帯に配属。しかしすぐに腎臓炎のため陸軍病院に入院。その病院生活で書いていた日記が今も保管されている。相次ぐ空襲で大阪も姫路も焼け野原となり多くの人が亡くなった。死と隣り合わせの日々の中で、米朝さんは落語への思いを抑えきれなくなる。その時の気持ちが日記に記されていた。病院の中で初めて落語をし、この日以降聞き覚えた落語をどんどん披露していった。 演目の数は36に及んだ。そして終戦後の昭和22年、21歳の米朝さんは4代目桂米團治に入門。しかし終戦後に大阪の人々が夢中になったのは漫才。長年米朝さんと親交のあった作家・筒井康隆さんは、当時漫才が好まれた空気を肌で感じていたという。落語家の中には漫才師に転向するものや廃業するものが続出。米團治さんも貧乏ぐらしにあえいでいた。そんな中、追い打ちをかけるように上方落語を支えてきた大御所たちが相次いでこの世を去った。米朝さんが心酔していた米團治も入門してからわずか4年後に亡くなった。当時の新聞は「大阪落語は一巻の終わり」「これで大阪落語も滅びた」と言い切った。上方落語を残そうと東奔西走したのが桂米朝と六代目笑福亭松鶴。2人の芸は対称的で水と油だった。六代目笑福亭松鶴は、5代目松鶴の息子で生粋のなにわっ子。弟子たちには人気者がいっぱい。上方落語伝統の一門。松鶴さんの落語はまとわりつくような昔ながらの大阪弁。一方米朝さんはスマートさと研究者のような深い教養が信条。落語の中でも難易度の高い「軒づけ」。5つの浄瑠璃を語り分ける必要がある。能狂言から芸者衆の小唄まで、伝統芸能なら何でもござれの米朝さん。好きが講じて歌舞伎の舞台を務めたこともある。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月4日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニング林修のことば検定スマート
「西の海へさらり」どう使う言葉?青は厄払いのフレーズ、赤は変わり身の早さを揶揄、緑は仕事は春告海の産卵。dボタンで参加。正解は青の厄払いのフレーズ。

2025年8月28日放送 13:00 - 13:30 テレビ朝日
徹子の部屋(ゲスト 桂二葉)
桂二葉は2021年にNHK新人落語大賞を満場一致で受賞。50年の歴史の中で女性初の快挙。今年は京都市芸術新人賞を受賞。黒柳のリクエストで落語を披露した。落語と出会ったきっかけは大学生の時にたまたまテレビで見た鶴瓶さん。鶴瓶さんのおっかけもしていたという。大学卒業後にスーパーに就職したが落語家を目指して退職。師匠の桂米二さんから2度入門を断られたと振り返った。[…続きを読む]

2025年8月27日放送 19:57 - 20:42 NHK総合
激突メシあがれ〜自作グルメ頂上決戦〜夏に負けない!チャーハンSP
書類審査を通過した3人のアマチュアを紹介。海外でも活躍する書家の石井俊子(68)はインパクトのあるキャベツチャーハンで書類審査を突破した。落語家の桂あさ吉(55)はチャーハンのレパートリーは落語よりも多いと話す。プロミュージシャンの光永亮太(45)は自身がラジオDJを務める番組でもチャーハン愛を熱く語ってきた。この3人が挑むテーマは「あなたならではの夏チャー[…続きを読む]

2025年8月17日放送 16:05 - 17:20 フジテレビ
鶴瓶サンドの夏旅(鶴瓶サンドウィッチマン中条あやみ ワタシたちの上京物語)
鶴瓶が半蔵門時代によく会っていたという五味さん夫婦からのビデオレター。夫婦は、鹿児島県奄美大島にいて、半蔵門では、鶴瓶が常連だった小料理店を営んでいた。鶴瓶は、刺身定食と日替わり定食の両方をよく注文していたという。東日本大震災を機に閉店を決意し、息子夫婦が住む奄美大島に移住した。現在は、夫婦でグラウンド・ゴルフに夢中だという。鶴瓶の独演会に招待され、「酒より[…続きを読む]

2025年8月3日放送 1:25 - 2:38 NHK総合
桂米朝 なにわ落語青春噺(ばなし)桂米朝 なにわ落語青春噺
落語家の桂米團治さんは、米朝さんの長男で19歳のとき弟子入り。1つのネタで米朝さんが稽古をつけるのは3回だけ。録音は一切禁止。後で聞き返せると稽古で油断してしまうから。米朝さんの口癖は「落語は催眠術である」。お客を落語の世界に引き入れるため、口調や身振りの細かいことまで厳しく指導。米朝一門は、直弟子、孫弟子、玄孫弟子までいれると80人以上。上方落語家の約3割[…続きを読む]

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