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「案山子」 のテレビ露出情報

まずは街で最も栄えている東出昌大も学生時代に毎日通った東浦和駅からスタート。東浦和から東へ200m歩くと、鯉がいた。駅東の川沿いを歩き続けること3時間、気になるものを発見。通船堀という水位の違う2つの水路を結ぶ運河だという。この住宅街を通っている用水路は日本最古の船堀である見沼通船堀で東京から浦和へ“あるもの”を運んでいたとのこと。東京から浦和までは肥料を運んでいたという。今回は中央の川を堺に東西2チームに分かれて調査。西側はお店や住宅が多いエリアとなっている。駅から歩くこと30分、住宅地の中心部へ。実はこのエリアこそ東出昌大の地元中心部であった。あじ平ラーメンへ入っていき「ネギみそチャーシュー(半麺)」を食べていった。あじ平ラーメンには東出昌大に忘れられない思い出があり、スキャンダルの後に母と一緒にあじ平に行くと週刊女性に直撃されたという。
その後も住宅街をくまなく歩き続けること4時間、「働く男の店」を見つけ浦和出身の有名人について聞いてみると、東出昌大の学生時代は剣道で有名だったという。東西に分かれて10時間以上歩き続け、1日目はトータル55km分の道を踏破した。2日目となり西側チームはきのう歩いた南のエリアを探索。駅前にくらべて住宅が密集するエリアとなっている。馬が放し飼いになっているとあり、家の中で馬を見せてもらった。裏庭に牧場があり馬以外にも「マーラ」という南アメリカ南部に生息するネズミの一種がいた。動物好きの大金持ちも住む街となっていた。この辺りは用水路を挟んで東には田畑が広がっているが、童謡を歌っているお父さんがいてその童謡を調べてみると見沼田んぼをモデルに作曲された童謡「案山子」であった。かつでは音楽の教科書に載る童謡発祥の地であった。その井上さんに着いていくが撒かれてしまった。街歩きを再開して1時間後、見沼氷川公園へ到着。ハーブ園と遊歩道を併設しており、春になると桜の名所となる。そして井上さんがいて仲間というのは地元の高校生であり、年齢差60歳でも友達になれる町であった。
一方、東側チームは道を埋めながら北上し浦和美園駅を目指す作戦。しかし歩き始めてから2時間、東浦和の中央部はコンビニすらない畑エリアで炎天下の中ひたすら歩き続けていた。するといちご農園を発見。自動販売機にあるけずりいちごで休憩となったが、冷凍いちごしかやってなかった。ここでAD松尾は大事をとってリタイアとなった。その後1人になった十三Dは6時間かけて北上し、浦和美園駅へ到着。この日は両チーム合わせて57kmで累計112kmの道を踏破した。3日目の東側チームは浦和美園駅を中心に北部を探索。このエリアには浦和レッズの本拠地である「埼玉スタジアム2002」があった。町中にはサッカー関連のオブジェがあった。また浦和ICから続く国道が伸びているため、端から端が見えない超巨大「CAINZ」に2024年リニューアルの「イオンモール浦和美園」があった。そしてその周辺には会社も多く見られるおしゃれ住宅街を発見。

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