去年88歳で亡くなったアーティストの田名網敬一さんを紹介した。色彩豊かなデザイン画で、日本のポップアートをけん引した。田名網さんは昭和11年に東京生にまれ。漫画や絵を描くのが大好きな子供時代だった。戦争中、防空壕から見た光景は生涯忘れられないものとなったという。戦後、武蔵野美術学校デザイン科(現・武蔵野美術大学)に進学し、在学中の昭和32年、グラフィックデザイナーの登竜門である美術展「日宣美展」で特選を受賞した。卒業後、広告会社のデザイナーを経て独立し、商業美術のシルクスクリーンという印刷の技法を使い、新たな絵画表現を作り出した。アートアニメーションにも挑戦し、月刊PLAYBOYの初代アートディレクターを務めるなど幅広く活動した。田名網さんの創作エネルギーの源は幼少期の記憶で、戦争など昔の記憶をたどり、心に浮かぶ光景をスケッチするのが日課だった。こうして描いていった絵は1万枚を超えたという。アメリカで開かれた大規模なポップアートの国際展で作品が展示されるなど、海外でも評価が高まっていった。晩年まで創作意欲が衰えることのなく、国立新美術館で開催された回顧展「田名網敬一 記憶の冒険」では約500点もの作品が会場を埋め尽くした。田名網さんは、記憶に導かれ、独自のアートの世界を追求し続けた88年の生涯だった。「NHK映像ファイル あの人に会いたい」の番組宣伝をした。
住所: 東京都小平市小川町1-736
URL: http://www.musabi.ac.jp/
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