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「永遠の0」 のテレビ露出情報

1986年当時、日本のVFXはハリウッドの20年遅れで教えてくれる人もなく惨めなものだった。山崎貴には映画を作りたいという思いを共有する仲間がいた。当時のメンバーはわずか5人で、理想だけが先走り空回りするばかりだった。「ジュブナイル」は山崎の監督デビュー作。「ALWAYS 三丁目の夕日」は運命を変える大ヒット映画。昭和の町並みをVFXで蘇らせた。海賊船に乗せてくれ、と続々と個性あふれる乗組員が集まってきた。
特撮技術の結晶、ゴジラをVFXで動かしてみたいという夢が叶ったのは2007年。日本映画でゴジラが街を破壊する初めてのシーンとなった。ゴジラがむき出しにしたのは海賊船の現在地、未熟さだった。日本最速と言われるペースで映画を作り、技術を蓄積していった。「ゴジラ-1.0」で街が破壊されるシーンを紹介。木はコンクリートと割れ方が違うという。
ゴジラに向け出航したのは2019年春。乗組員は35人。ハリウッドの大作では1000人が投入されることを思えば巨大なゴジラに生身で突撃するようなものだった。山崎は「「シン・ゴジラ」の後追いだけはしたくなかった、「シン・ゴジラ」は陸の映画だから海の映画にしたい」と話した。植木は山崎の描いた絵コンテをプリヴィズと呼ばれる荒いCGにした。水は膨大な手間がかかるため、海はVFXでタブーとされてきた。山崎はSNSでスカウトもしている。佐藤は東日本大震災を体験し母も病で失った。腕を見込まれ入社したものの馴染めなかったが、何でも言い合う空気に巻き込まれていった。
問われていたのは海賊の一人一人、自ら考え動く力だった。電車は細部に至るまでリアリティを追求している。軍艦は一部はセット。海はVFXのタブー、その量に誰もがたじろぎ消耗していった。野島が着目したのは白波と水面の境界線。水面に半透明の幕を敷くと海が立体的に立ち上がってくることを突き止めた。ひらめきの一つ一つがハリウッドとの差を縮めた。安藤は野島がどれだけ遅れようとも急かさなかった。脳裏にあったのは山崎の言葉「失敗するならこの仲間で」。データ量が際限なく増えサーバがパンク寸前となった。
2023年3月、試写の日が来た。史上最大の決戦を35人で乗り越えた。映画公開2か月後、アカデミー賞の視覚効果賞にノミネートされる可能性があるという。皆で中継で見守った。ライバルは予算が桁違いの大作ばかり。5人だけで船出した海賊たちは自分たちだけのやり方で夢の島に立った。
最後に訪ねたのはスタジオの心臓部、サーバー室。山崎と早川は同期。39年間船の成長とともにあった。世界を驚かせたアカデミー賞、授賞式に登壇できるのは4人だけだった。社内選挙で選んだという。海賊船の航海は続く。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月19日放送 15:00 - 16:00 TBS
土曜☆ブレイク今さらシロー 岡田准一ロバート秋山が学び直し!
東京タワーを造った偉人1人目は、黒崎三朗さん。黒崎さんは23歳の時、鳶職人の中心として活躍していた。当時は安全の取り決めがなくヘルメットも命綱もなしで、工期の途中から着用するようになった。命綱は行動が制限されてしまい、納期に間に合わないと作業していたという。巨大な鉄骨をウインチで吊り上げ、約60人の鳶職人が手作業で組み立てる。800℃のリベットを建設中の高所[…続きを読む]

2025年3月2日放送 23:00 - 23:30 TBS
情熱大陸(情熱大陸)
岡田准一が千葉県鋸南町で、イクサガミの撮影を行った。岡田は、イクサガミのプロデューサーもしている。イクサガミの藤井監督と岡田准一が撮影した映像をチェックし、エキストラに演技指導した。真田広之が主演・プロデュースした「SHOGUN」は、各賞を総なめした。岡田が、真田さんのチームをリスペクトしていると語った。山形県鶴岡市で、岡田が野外ロケを行った。岡田は様々な格[…続きを読む]

2024年12月28日放送 20:54 - 23:24 TBS
情報7daysニュースキャスター2024年ニュースの主役ランキング!
野本さんが山崎少年にカメラを貸し出してからおよそ20年後、商業映画の監督デビュー作「ジュブナイル」を発表した2000年のある日のこと。監督デビューの報告のため実父を連れて挨拶に行ったという。そんな色紙での交流は驚くことに現在でも。山崎監督は新作映画を撮るたび野本のためイラスト入りの色紙を書いてプレゼント。一飯の恩ならぬ「1カメの恩」は40年以上も続いている。[…続きを読む]

2024年9月29日放送 15:00 - 15:55 日本テレビ
超絶マンガ級ピーポー!リアル主人公に会いにいく(超絶マンガ級ピーポー!リアル主人公に会いにいく)
ケンジは23歳の若さで自動車整備工場を立ち上げた。ある日、エッフェル塔を作りたくなり、雑誌を見本に作り始めた。しかし、細部まで分からず、失敗に終わった。数日後、エッフェル塔をチェックするためだけにパリへ向かい、 エッフェル塔の採寸を開始した。帰国後、再びエッフェル塔作りを開始。7年後、エッフェル塔が完成。現在は「佐賀のエッフェル塔」と呼ばれ、地元で大人気のス[…続きを読む]

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