きょうの注目は、80年前の東京大空襲の被害について取材したNHK NEWS WEBの記事。河合節子さんは1939年生まれ。現在の東京・江東区で育った。河合さんが2歳のときに太平洋戦争が始まり、1945年に入ると河合さんは頻繁に空襲警報を聞くようになり、両親は河合さんを地方に疎開させる。数カ月後に迎えに来た父・繁一さんの姿を見て河合さんは驚いたという。顔などに包帯が巻かれ、まるでミイラのようだったと河合さんは振り返り、包帯が取れても顔中にケロイドが残り耳たぶは溶けてなくなるほどの傷を負っていた。亡くなった弟の話を聞くことができたのは、終戦から10年ほど経ってからのことだった。国は戦後、軍人やその遺族に対しては年金などで補償してきたが、空襲の被害者や遺族には補償がない。こうした背景には、受忍論がある。河合さんは自分の想いを伝える最後の機会だと考え、空襲被害者を救済する法案の成立を求める活動を行っている。