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「沖縄戦」 のテレビ露出情報

沖縄県糸満市にあるガマという自然の洞窟で地面を掘っている具志堅隆松さん。40年以上にわたり、沖縄戦の戦没者の遺骨を探して遺族に返す活動を続けている。ガマで土を掘っていると遺骨が出てくる。1945年4月、本島中部からアメリカ軍が上陸し、日本軍は南部へ撤退を決めた。そこには、避難していた多くの住民が残されていて、住民を巻き込んでの地上戦となった。ガマに隠れた住民は火炎放射に焼かれ、手榴弾などを投げ込まれ命を落としていった。中には自決に追い込まれる人もいて、20万人以上が犠牲になった。具志堅さんは1か月程前からこの場所で遺骨収集を続けていた。見つけた遺骨は2人の子どもの可能性がある。頭蓋骨の一部は大人のものである可能性が高い。遺骨は収集施設に一時的に保管され、DNA鑑定が行われて遺族を探すことになる。具志堅さんは28歳のときに遺骨収集を始めた。当時、国も遺骨収集事業を行っていたが、数があまりにも多く、地元の人や本土からきた遺族も自ら遺骨を収集していた。具志堅さんはガマフヤーを名乗り、遺骨収集をはじめた。戦後80年の今でも沖縄には2522柱の遺骨が残されているとされている。激戦地だった南部では今でも多くの遺骨が見つかる。沖縄戦のとき10歳だった賀数弘さんはは戦闘で傷ついた避難民たちの最後を見た。
子どもらしき遺骨が出たガマの近くで新たな遺骨が見つかった。20mほど奥で見つかったのは全身が残った遺骨。そばには小銃の薬莢もあり、兵士だったことがわかる。遺骨の状態から20歳前後の若者ではないかという。普天間基地の移設先とされる辺野古。埋め立て土砂を沖縄南部からも採取する計画が持ち上がった。遺骨が土砂とともに海に捨てられる可能性が出てきた。先月、具志堅さんは東京で計画の変更を訴えた。国は土砂の入手先はまだ決まっていない、適切に対応するとした。戦後80年の慰霊の日、具志堅さんは追悼式の会場そばで、遺骨を遺族に返すためのDNA鑑定への協力を呼びかけていた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年6月24日放送 5:25 - 8:14 フジテレビ
めざましテレビNEWS
20万人あまりが犠牲となった沖縄戦の終結から80年。沖縄県ではきのう「慰霊の日」を迎え、沖縄全戦没者追悼式が行われた。石破総理は「平和の礎に刻まれた全ての戦没者の無念と残された方々の悲しみを私たちは決して忘れてはなりません」と述べた。玉城知事が沖縄戦の実相と教訓を世代を超えて守り、伝え続けることはいまを生きる私たちの使命とする平和宣言を読み上げた。

2025年6月24日放送 4:30 - 5:50 日本テレビ
Oha!4 NEWS LIVE5:00 Headlines
太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終結したとされる日から80年、沖縄はきのう慰霊の日を迎え、全戦没者追悼式が行われた。沖縄戦最後の激戦地となった糸満市摩文仁にある平和祈念公園で正午前から追悼式が始まり、玉城知事や石破総理も参加。20万人以上に上る沖縄戦の犠牲者を悼んだ。玉城知事は、沖縄戦の実相と教訓を守り続けていくことは私たちの使命ではないかと[…続きを読む]

2025年6月23日放送 13:18 - 13:55 NHK総合
列島ニュース(大分局 昼のニュース)
沖縄はきょう20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から80年の慰霊の日。当時、海軍の兵士として沖縄の部隊に配属されていたという国東市の97歳の男性がきょうNHKの取材に応じ、当時の激しい戦闘の状況を振り返りながら「国を挙げて人殺しをさせるのだから戦争はやめたほうがいい」などと平和へ思いを語った。

2025年6月23日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブル(ニュース)
ジョン・カビラさんの父の川平朝清さんは1927年、日本統治下の台湾で生まれ、沖縄戦では陸軍の兵士として訓練を行っていた。台湾から両親の故郷である沖縄に引き上げたのは終戦から1年以上が経った1946年12月。船から沖縄を見た母親の「山河も残らなかったわね」という言葉が今もなお忘れられないという。朝清さんは「母にしてみれば昔の沖縄じゃないという気持ちが強かったと[…続きを読む]

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