今は在日米軍基地の70%が集中する沖縄、発端は80年前の壮絶な地上戦にあった。敗色濃厚だったのにもかかわらず日本は降伏することなく沖縄戦に突入、軍民合わせ20万あまりが亡くなっただけでなく県民ほとんどが収容所に押し込められ広大な土地が軍用地になった。1951年サンフランシスコ平和条約に調印し日本は主権を回復したが沖縄は返還されず過酷な暮らしを強いられた。終戦から27年後に変換されたが沖縄の人々は複雑な思いを抱えていた。昭和天皇の気持ちについて研究第一人者の保阪正康さんは「戦争のときの沖縄の悲惨な状況については報告を聞きながら心を痛めていた。同時に戦争が終わった後東西冷戦の時代で沖縄に軍事基地を作るアメリカの戦略に対し容認する形をとった」とした。昭和天皇の考えが終戦直後にGHQに「天皇メッセージ」として伝えられていたことが後にわかる。「米国による軍事占領は日本の主権を残したままで長期租借によるべき」とされ2014年公開の昭和天皇実録でも触れられている。その後どう影響したのか専門家の見方は様々だが事実、沖縄は27年返還されなかった。保阪氏は「昭和天皇のお気持ちはかなり苦しかったと思う。苦しさを生涯かかえていたから沖縄へ行き沖縄の人たちを慰めたいんだと」とした。