知花さんは宿泊施設を経営しながら平和ガイドをしている。この日は修学旅行で訪れた高校生たちを読谷村のチビチリガマに案内。地元住民約140人が艦砲射撃や空襲から逃れるために避難していたこと、集団自決に追い込まれ83人が犠牲になったこと、そのきっかけは米兵がガマの中に入ってきたことだったことを説明した。知花さんは、背景には「捕虜になることを許さない」とした当時の教育や軍の方針などがあったとする証言を伝えた。チビチリガマの集団自決が明るみに出たきっかけとなった本の調査に協力した1人が知花さんの父・昌一さん。平和ガイドとして長年語り継いできた昌一さん。6年前に体調を崩した昌一さんから知花さんは平和ガイドを引き継いだ。チビチリガマから800m程離れたシムクガマでは集団自決は起きず、避難していた1000人近くは無事だった。ハワイ帰りの2人の男性が米軍と交渉し「危害を加えられることはない」と周囲を説得したためだったという。知花さんは2つのガマから得られる教訓を高校生たちに説明した。