広場に避難した人々は皆、布団や箪笥といった家財道具を持ち出していた。しかし、大量の荷物を乗せた大八車は避難するための道を塞いでしまい、避難の遅れに繋がった。障害物や人並みに阻まれて避難が遅れ、広場に辿り着けなかった人々は隅田川にかかる6本の橋を目指して殺到した。橋の両側から火災が広がる中、急き立てられるように両岸から押し寄せた人々は橋の上でぶつかり合い、圧死や窒息による犠牲者が続出。やがて相生橋や永代橋、吾妻橋、厩橋では避難者が持ち込んだ家財に炎が燃え移り、人々は身動きが取れないまま焼け落ちる橋と運命を共にした。しかし、この凄惨な光景も関東大震災という巨大災害の始まりに過ぎなかったのである。