きんさんぎんさんは合わせて200歳になる名古屋の2人のおばあちゃんで、1991年に全国で初めてNHKが紹介した。以来2人のユーモラスなやり取りは人気を呼んで、国民的アイドルになった。テレビに出るようになって元気が増した2人は102歳で初めての海外旅行に向かった。1892年に愛知県に鳴海村の農家に長女・次女として生まれ、米や野菜を売っていた貧しい小作農で、家は山の中にあったという。2人は幼い頃から畑仕事をしていたという。きんさんぎんさんが小学校に入ったのは日露戦争の始まる少し前のことで、弟や妹の子守りをするために2人は一日置きに学校に通ったという。小学校を卒業すると2人は病弱だった母親の代わりに畑仕事や糸繰りや機織りなど家の仕事をなんでもやったという。明治43年のきんさんの結婚記念日の写真があり、ぎんさんも三年後に結婚し、親が決めた近くの農家に嫁いだという。
結婚直後から野良仕事に明け暮れたきんさんとぎんさん。当時農家にとって嫁は貴重な働き手だった。その頃街には自動車が走り始め、映画館が人気を集めていた。大正デモクラシーの中で、きんさんぎんさんの人生は出産ラッシュだったという。きんさんは11人、ぎんさんは5人の子どもを産んだ。昭和16年には太平洋戦争が勃発し、きんさんは息子二人を戦地に送ったというが、2人は無事に復員したものの、弟が戦死してしまった。昭和34年には伊勢湾台風でぎんさんは家族3人を亡くした。明治、大正、昭和、平成を生き抜いたきんさんぎんさんは長寿の秘訣について尋ねると普通の生活をしていて特になにもないと語っている。きんさんぎんさんは頼まれればどこにでも行ったというが、その姿は人々に生きる勇気と希望を与えた。きんさんは107歳、ぎんさんは108歳の命を全うした。
結婚直後から野良仕事に明け暮れたきんさんとぎんさん。当時農家にとって嫁は貴重な働き手だった。その頃街には自動車が走り始め、映画館が人気を集めていた。大正デモクラシーの中で、きんさんぎんさんの人生は出産ラッシュだったという。きんさんは11人、ぎんさんは5人の子どもを産んだ。昭和16年には太平洋戦争が勃発し、きんさんは息子二人を戦地に送ったというが、2人は無事に復員したものの、弟が戦死してしまった。昭和34年には伊勢湾台風でぎんさんは家族3人を亡くした。明治、大正、昭和、平成を生き抜いたきんさんぎんさんは長寿の秘訣について尋ねると普通の生活をしていて特になにもないと語っている。きんさんぎんさんは頼まれればどこにでも行ったというが、その姿は人々に生きる勇気と希望を与えた。きんさんは107歳、ぎんさんは108歳の命を全うした。