戦時下のアイドル、明日待子。新宿駅東口からすぐの場所にあった劇場「ムーラン・ルージュ新宿座」に13歳で入団。3年も経たずにトップスターに駆け上がった。有名飲料の初代イメージガールをはじめ百貨店やビールなど様々な企業の広告に起用された。フランス語で「赤い風車」を意味する「ムーラン・ルージュ」という劇場の名が敵性語だと禁じられ、台本にも警察の検閲が入るように。「明日待子万歳!」、叫んだのは兵隊として満州に送られる学生たち。万歳の声は連日聞かれるように。待子が客席へ下りて学生たちに伝えた言葉「必ず戻ってきてくださいね」。終戦。待子は結婚を機に札幌へ移住。日本舞踊を広めるため教室を開き、92歳のときにも娘とともに舞台で踊りを披露した。戦時下のアイドル、明日待子にとって戦争とは何だったのか、亡くなる前の年の証言「二度と戦争は嫌だ。そういう時代でしたから過ごしてきましたけどだめですね」。
