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「満州」 のテレビ露出情報

きょうのギモンは「上皇后さま91歳ご近況は?」。天皇皇后両陛下はきょう午前11時ごろ上皇后さまの誕生日をお住まいの仙洞御所を訪問された。これに先立って長女の愛子さまも仙洞御所を訪れ、にこやかに手を振られていた。きょう91歳を迎えた上皇后さまの近況について宮内庁は「去年の右大腿骨骨折後ほぼ骨折前の状態まで回復」「上皇さまを早くお支えできるようにとのお気持ちから退院後は仙洞御所で毎日リハビリテーション訓練に励まれた」と説明。今年1月2日の新年一般参賀でのお姿。杖のない状態で出席された。そして8月には戦後80年の節目に大日向開拓地を再訪問できたことに安堵されていたという。軽井沢は上皇ご夫妻の出会いの地でもある。1950年、軽井沢のテニスコートで上皇さまのペアと上皇后さまのペアがダブルスで対戦。当時それぞれ23歳と22歳。そのダブルスは結果上皇后さまのペアが勝利を掴んだ。こうした対戦をきっかけにロマンスが始まり1958年に婚約発表。皇太子妃は旧皇族・華族が習わしだったが、初めて民間から皇族に。1983年にはタンザニアで愛称で呼ばれる一コマが。それまでは子どもに養育係をつけて親子が離れて生活をすることが慣習とされていたが、それをやめた。普通の家庭のように育てたいという希望から家族の同居を実現。上皇后さまは自ら離乳食などを作られることもあったという。東宮御所に作られた専用キッチンで、子供達のお弁当を作られたこともあったそう。今年上皇さまが2度入院した際、上皇后さまは上皇さまの日常を細やかに支えられているという。そして、今年は悠仁さまの成年式が行われた。加冠の儀の様子を上皇ご夫妻はテレビでご覧になったそう。その夜の帝国ホテルでの夕食には手を繋いで来場。上皇后さまの体調について宮内庁は「午後に少し熱が上がる症状、心不全の診断指標の値が正常値を超える高い状態で推移、脚力低下による転倒防止のため御所内を歩くなど軽い運動をされている」としている。また最近のご様子については、「お疲れやすくなり体力も少しずつ低下されているように感じられる。上皇さまのお側で毎日を静かに穏やかにお過ごしになられることに心の安らぎを覚えていらっしゃるよう」だとしている。また朝食後の上皇さまとの本の音読も行われており、朝のルーティーンも崩さず行っているとのこと。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月9日放送 15:50 - 19:00 日本テレビ
news every.(特集)
先月6日、80回目の“原爆の日”。広島を訪れた俳優・吉高由里子さん。80年前、祖母が広島で被爆。2度と同じ悲劇を経験しないため自分たちに何ができるのか。この日、平和記念公園で開かれた絵画展で展示されていたのは原爆の惨状を描いた油絵。描いたのは地元・広島の高校生たちだ。この約2か月前、吉高さんは高校生たちが通う学校・広島市立基町高等学校を訪ねた。吉高さんがそこ[…続きを読む]

2025年7月11日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルピックアップNEWS
80年前、日本の敗戦が決まった直後、旧満州で起きた悲劇を描いたドキュメンタリー映画「黒川の女たち」があすから公開される。1931年の満州事変の翌年、日本政府は傀儡国家・満州国を建国。政府は国策として農業移民を推し進め、村や学校も満州への入植を推奨した。日本各地から900余りの開拓団約27万人が入植。岐阜県白川町(旧黒川村)の開拓団も600人余りが満州へと渡っ[…続きを読む]

2025年5月10日放送 14:00 - 15:30 TBS
世界くらべてみたら日本くらべてみたら
宇都宮、浜松、宮崎でそれぞれの街を代表する餃子を食べ比べてもらい、地元の餃子を見抜けるかを検証。地元の餃子を見抜いた人数で餃子愛No.1を決定する。満州から帰ってきた駐屯部隊が現地で食べた餃子を広めて餃子の街になったと言われている宇都宮。中でも最も歴史ある宇都宮みんみんの餃子を街の人は見抜けるのか。宇都宮では30人人中16人が正解した。浜松代表は石松餃子。円[…続きを読む]

2025年5月8日放送 19:00 - 21:00 フジテレビ
かまいまち即完売グランプリ
「円盤餃子」は満州からの引揚者が発祥の福島の郷土料理。フライパンに敷き詰めて焼くために生まれる独特な円盤状での提供スタイルが特徴。福島駅周辺には約10店舗の販売店が存在し1953年創業「元祖円盤餃子 満腹」が発祥。お肉やにんにくに頼らず白菜のうまみがベースになっている。皮は2種類の粉と水を使用し練り合わせた後2日間熟成。
初代が満州で食べた餃子から着想を得[…続きを読む]

2025年4月26日放送 16:00 - 16:45 NHK総合
ファミリーヒストリーファミリーヒストリー 藤あや子
昭和12年、日中戦争が勃発。定治は陸軍に入り危険をともなう工兵になっていた。定治の部隊は満州へ向かった、高い緊張状態にあったソ連との国境付近での任務だった。定治は生き延び、昭和16年に陸軍を除隊。しかし、日本には帰らず満州にとどまる道を選んだ。定治が目をつけたのは満州の豊な食文化。持ち前の行動力を発揮して食堂をひらいた。そして、26歳の時にいとこの女性と結婚[…続きを読む]

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