青山学院大学・原晋監督はエースを鶴川正也選手だと明言。5000mと10000mで学内記録を保持し、自分は強いと口にした。しかしそう信じていても結果のでなかった3年間、辞めたいとさえ思った鶴川選手を支えたのは両親の言葉だった。底抜けに明るい鶴川選手、小学生の時に出場したマラソン大会から走ることが好きになり、中学時代にはサッカー部だったもののジュニアオリンピックで3位入賞を果たした。その結果に両親は驚いたという。高校は九州学院に進み、全国高校駅伝では区間賞も獲得した。青山学院大学入学時は1年時からの活躍を誓う。しかしその思いは怪我などで遠く離れてしまう。それでも鶴川選手は練習を重ね3年目に第35回出雲全日本大学選抜駅伝競走に出場。しかし結果は区間7位、チームの順位も落としてしまう。それでも弱音を吐かず前を向くも今度は疲労骨折で全日本大学駅伝対校選手権大会に出場できず、箱根駅伝へのエントリーも叶わなかった。この時、鶴川選手は
ご両親に「辞めたい」と口にしたという。この時ご両親は「箱根が全てではない」と敢えて言葉をかけた。さらにそこから自身のペースで競技に戻ることができた。大学ラストイヤーとなった今年、鶴川選手は大きく飛躍した。1番へのこだわりを捨てたことで再び1番になることができた。最初で最後になる箱根駅伝に臨む息子に、ご両親は楽しんでこい、チームのために死ぬ気で走ってこいとエールを送った。
ご両親に「辞めたい」と口にしたという。この時ご両親は「箱根が全てではない」と敢えて言葉をかけた。さらにそこから自身のペースで競技に戻ることができた。大学ラストイヤーとなった今年、鶴川選手は大きく飛躍した。1番へのこだわりを捨てたことで再び1番になることができた。最初で最後になる箱根駅伝に臨む息子に、ご両親は楽しんでこい、チームのために死ぬ気で走ってこいとエールを送った。