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オープニング映像。
出雲駅伝で優勝した國學院大學、ゴールテープを切った平林清澄選手が口にしたのは親友・平井歩夢選手の名前。仲間たちとの歓喜の輪の中にいた彼の笑顔の裏には涙と復活を待ち続けた友がいた。2019年の出雲駅伝、國學院大學は初優勝を果たし当時高校3年生だった山本選手と小林選手は迷うことなく進路を決めた。大学入学から4年間、箱根駅伝での優勝を誓いあった。ともに1年生から箱根駅伝に出場、2年目には2区と3区でタスキを繋いだ。3年になり2人はさらに飛躍。山本選手は5000mの学内記録を打ち立て、平林選手は10000mで学内記録を作り27分台をマークした。歴史を変える期待を抱かせた2人、前回大会では平林選手は2区で出場したものの、山本選手は大会直前で負傷し出場できなかった。この年総合5位となり、チームは悔し涙を浮かべた。山本選手の怪我が癒えぬ中、平林選手は初マラソンの日本記録を更新した。4月、レースに復帰した山本選手だがその走りは影を潜める。関東インカレでも狂った歯車はもとに戻らない。涙を流した山本選手は自身のIDパスに「この悔しさを忘れない」と記した。そしてそこに平林選手は復活を待っていると記した。期待に応えたい、練習に打ち込んだ山本選手。全日本大学駅伝では6区2位でタスキを受けた。7区で平林選手が待つ中、山本選手は区間新記録でタスキをつなぐ。最終区で逆転した國學院大學は見事に初優勝を果たした。全日本大学駅伝後、山本選手のパスには「あと一つ」と平林選手からのメッセージが寄せられた。山本選手は平林選手紙地を作ってくれた、箱根で優勝を目指せるチームになったと胸を張った。
創価大学の吉田響選手は柏原竜二選手ら「山の神」と呼ばれる選手に憧れ箱根駅伝を目指したという。昨年は悔しい思いをし、今年は山の神と呼ばれる走りをしたいのだと語った。
「第101回 箱根駅伝」の番組宣伝をした。
青山学院大学・原晋監督はエースを鶴川正也選手だと明言。5000mと10000mで学内記録を保持し、自分は強いと口にした。しかしそう信じていても結果のでなかった3年間、辞めたいとさえ思った鶴川選手を支えたのは両親の言葉だった。底抜けに明るい鶴川選手、小学生の時に出場したマラソン大会から走ることが好きになり、中学時代にはサッカー部だったもののジュニアオリンピックで3位入賞を果たした。その結果に両親は驚いたという。高校は九州学院に進み、全国高校駅伝では区間賞も獲得した。青山学院大学入学時は1年時からの活躍を誓う。しかしその思いは怪我などで遠く離れてしまう。それでも鶴川選手は練習を重ね3年目に第35回出雲全日本大学選抜駅伝競走に出場。しかし結果は区間7位、チームの順位も落としてしまう。それでも弱音を吐かず前を向くも今度は疲労骨折で全日本大学駅伝対校選手権大会に出場できず、箱根駅伝へのエントリーも叶わなかった。この時、鶴川選手は ご両親に「辞めたい」と口にしたという。この時ご両親は「箱根が全てではない」と敢えて言葉をかけた。さらにそこから自身のペースで競技に戻ることができた。大学ラストイヤーとなった今年、鶴川選手は大きく飛躍した。1番へのこだわりを捨てたことで再び1番になることができた。最初で最後になる箱根駅伝に臨む息子に、ご両親は楽しんでこい、チームのために死ぬ気で走ってこいとエールを送った。
早稲田大学の石塚陽士選手は陸上を極め、研究者になることを目指し入学した。自身が結果を残しながら両立できることを示した音語った。
「完全密着!箱根駅伝」の番組宣伝。
前回の箱根駅伝、エントリー選手の中で唯一の石川県出身者だった城西大学・久保出雄太選手。どんな時でも前向きにいられたのは恩師の存在があった。石川県加賀市出身の久保出選手は兄の影響で中高サッカー部。しかし高校2年の時に陸上部に転部し新たな夢を持った。箱根駅伝を観た時にユニフォームをかっこいいと感じた城西大学へ。しかし誰でも入部できるわけではなく、久保出選手は同好会へ入部。鍛錬を重ね監督の授業をとるなどし関係を作った。秋から駅伝部の練習に参加。5000mの自己記録を30秒短縮、2年時に駅伝部への入部が決まった。櫛部監督は久保出選手の熱量に驚いたという。2年の秋には箱根駅伝の予選会に。3年時にはついに箱根駅伝出場を決めた。しかし、1月1日に発生した能登半島地震。久保出選手の心は大きく揺れた。櫛部監督は久保出選手へ「お前の走りで石川県を盛り上げるしかない」と伝えた。区間13位という結果だったが、来年は区間賞を目指すとし、2大会で主要区間を任された久保出選手。今やチームになくてはならない存在となった。集大成の箱根は監督への感謝の走りを見せる。
中央学院大学の吉田礼志選手は攻める走りでラストイヤーに臨む。予選会では日本人トップ、さらなる高みへ。
東洋大学・石田洸介選手は世代のエースとされたものの初駅伝では区間19位。しかし同期の走りが再び石田選手の気持ちに火をつけ復活へと導いた。
ぐるぐるナインティナインの番組宣伝。
駒澤大学の夏合宿、ムエタイのワイクルーという儀式で神様やコーチに感謝を伝える篠原倖太朗選手。第99回東京箱根間往復大学駅伝競走で2年生時に初出場した篠原選手は当時のエース田澤廉選手からタスキを受け、区間2位となりチームの総合優勝に貢献した。トップ選手しか参加しないアメリカ合宿に参加した。迎えた第100回大会、篠原選手は1区を任され区間賞を記録。しかし3区で青山学院大学に抜かれると往路・復路で挽回できず連覇の夢は途絶えた。翌日新主将に就任した篠原選手は「原点と紡ぐ」をスローガンに掲げた。調子の上がらぬチームを強くするために篠原選手はスイス合宿の参加を見送り、チーム練習を引っ張った。後輩たちはその気持を受け、出雲駅伝で躍動する。しかしアンカーである篠原選手は國學院大學の牙城を崩せなかった。試合後先輩である鈴木芽吹選手に連絡をした。鈴木選手は2位に入ったことは篠原選手の力だと励ました。迎えた全日本大学駅伝、順位を落としたチームを2位にまで引き上げた篠原選手。試合後、区間賞のトロフィーを失速した桑田駿介選手に渡す篠原選手。いつか桑田選手が区間賞を勝ち取るまで貸し出すという。主将としてお篠原選手の最後の仕事はチームを勝たせることとなる。
エンディング映像。
箱根駅伝の応援時のマナーについて注意を促した。
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- 第101回東京箱根間往復大学駅伝競走
この番組はTVerで配信。
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