依頼人は東京都西東京市の米野宗禎さん。詩吟歴は67年。お宝は54年前に結婚した際、妻の両親がお祝いにくれた絵。
米野宗禎さんのお宝は片岡球子の赤富士。片岡球子は1905年、札幌で生まれ、18上京し女子美術学校に入学。卒業後は地元に戻り結婚するよう両親から言われていたが、画家になろうと決意した。横浜で小学校の教師をしながら絵を描き。25歳のときに「枇杷」が院展で初入選。その後は5年連続で落選したため、落選の神様と揶揄された。巨匠・小林古径からいまのへはゲテモノだが、ゲテモノと本物は紙一重の差だと言われた。50歳で小学校の教師を退職し、火山・富士山を描くようになった。生涯現役の画家だった。
米野宗禎さんのお宝は片岡球子の赤富士。片岡球子は1905年、札幌で生まれ、18上京し女子美術学校に入学。卒業後は地元に戻り結婚するよう両親から言われていたが、画家になろうと決意した。横浜で小学校の教師をしながら絵を描き。25歳のときに「枇杷」が院展で初入選。その後は5年連続で落選したため、落選の神様と揶揄された。巨匠・小林古径からいまのへはゲテモノだが、ゲテモノと本物は紙一重の差だと言われた。50歳で小学校の教師を退職し、火山・富士山を描くようになった。生涯現役の画家だった。