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「牛島満司令官」 のテレビ露出情報

アメリカ軍は沖縄本島中部に上陸した後、激しい戦闘を繰り広げながら南下した。標的は首里城の地下に張り巡らされた第32軍司令部壕で、第32軍の牛島満司令官が戦闘の指揮をとっていた。家族5人を沖縄戦で失った照屋苗子さんは、首里城に近い寒川地区の壕に家族や近所の人たちと身を寄せていた。その後、軍が首里で1週間戦争を食い止めるとして南部に逃げたが富盛の壕ではよそ者だとして追い出され、次に避難した具志頭の壕では日本軍から追い出され、糸満の新垣で壕に入ることができた。6月14日、水を探しに行った母親が野戦病院にいた姉の居場所を偶然聞きつけ兄と弟の治療をしてもらうため壕に連れてきたが、そこに迫撃砲が打ち込まれた。祖母、姉、弟は即死で、その後母、兄、妹と共に摩文仁で米軍に捕らえられた。妹は収容所で息絶え、防衛招集されていた父親は帰らぬ人となっていた。照屋苗子さんは、軍の首脳部に対しては肉親を失った私としては憎い、世界ではまだ自分たちが味わったことをしていると思うと悔しいと話した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年6月23日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおび(ニュース)
80年前の沖縄戦では軍民あわせて20万人あまり、県民の4人に1人が犠牲となった。最後の激戦地となった糸満市摩文仁にはけさ早くから多くの遺族らが足を運び犠牲者に祈りを捧げている。きょう6月23日は旧日本陸軍牛島満司令官が自決し組織的な戦闘が終わったとされる日で沖縄全戦没者追悼式には玉城知事、石破総理が参列した。玉城知事は「住民を巻き込んだ沖縄戦の実相と教訓を県[…続きを読む]

2024年8月24日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集現場から、
本土復帰とともに沖縄に発足した自衛隊。県民の自衛隊への反発が強かった当時、隊員の大学通学阻止や成人式への参加拒否など、県民の反自衛隊感情の高まりはあらゆる面に広がっていた。こうした県民感情の背景にあるのが沖縄戦の記憶。凄惨な地上戦の経験から戦争につながる全てのものを拒否し、平和を望んだ沖縄。日本兵によるごうの追い出しや、地元住民をスパイ視した虐殺などを経験し[…続きを読む]

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