ペリーは久里浜に上陸する約1か月前、沖縄に上陸していた。琉球王国は水、燃料などを提供。江戸幕府との条約締結後、ペリーは琉球に条約による開港を求めた。琉球王国の官僚、尚宏勲は「国家の大事は中国の指図を得なくてはならない」と伝えたが、アメリカ側は一蹴。遡ること10年前、中国清王朝はアヘン戦争で敗北し、イギリス、アメリカなどと不平等な条約を結ばされていた。日本との繋がりは隠し通すことに努めてきたことが災いし、琉球王国は単独でアメリカとの交渉を続けるほかなかった。1854年7月11日、琉米条約を締結。その後、明治維新で近代国家として歩みだした日本は琉球の併合に取り掛かり、新政府はアメリカは水面下で交渉。1879年3月、明治政府は琉球に軍と警察を派遣し、沖縄県設置を宣言した。450年続いた琉球王国は滅亡した。