石川県では県が必要と見積もる仮設住宅の3割近くが完成していない。そして今も2086人が避難所に身を寄せている。そうした中、さまざまな理由で家族と離れて暮らしている被災者も少なくない。珠洲市の蔵宗茂夫さん61歳。全壊と判定された自宅は今も手付かずのまま。地震直後、蔵宗さんは一緒に住んでいた母親のフミ子さんを連れて廃校になった珠洲市の小学校に避難する。このとき蔵宗さんは母親にまずはより施設の整った2次避難所に移ってほしいと考えた。足腰が弱く、持病もあるためで結果的に離れ離れの生活を送ることになった。地震発生から5か月余り。蔵宗さんは仕事を続けるため今も珠洲市内に住んでいる。市の仮設住宅への入居を希望しているが、今のところ割り当てられず、勤め先が用意したコンテナハウスで1人避難生活を続けている。一方のフミ子さんはこれまでの間、珠洲市から直線距離で100キロ離れた金沢市に避難。2次避難先の加賀市の旅館に移りながら毎日息子のことを気にかけていた。さらに慣れない環境と避難生活で体調を崩し、加賀市の病院に1か月以上入院した時期もあった。住む所を転々としながら今、フミ子さんがいるのは珠洲市の福祉避難所。ふるさとを離れて4か所目でようやく珠洲に戻ってきた。フミ子さんの唯一の楽しみが週に1回、息子が面会に来てくれることだ。現在、体調は安定しているというフミ子さんの願いは、仮設住宅に当たって連れていってもらうことだという。