- 出演者
- 寺門亜衣子
NHK・民放6局アナウンサーが出演。アナウンサーは災害時に放送で被災地の方へ避難を呼びかけてきた。
1925年3月、東京放送局がラジオ放送を開始。1953年にはテレビも放送開始した。2020年にNHKと民放は6局防災プロジェクトを立ち上げ、災害報道の経験や防災減災のノウハウを共有してきた。
1925年3月からラジオ放送が開始され、2年前に発生した関東大震災の経験からラジオ放送を求める声が高まったと言われている。1934年9月に発生した室戸台風を振り返り、日本大学・中森教授は「放送は開始当初から災害と向き合ってきた」と話す。1951年に民放ラジオが放送を開始。1953年にはテレビ放送が開始された。1954年9月に洞爺丸台風が発生し1400人以上の犠牲が出た。1959年9月の伊勢湾台風では死者・行方不明者が5098人に上る。1962年に災害対策基本法が施行され、1964年の新潟地震ではラジオで被災状況が伝えられた。1993年7月の北海道南西沖地震から放送各社が津波警報を重視し速報するようになった。1995年の阪神・淡路大震災では被災地取材など課題も浮き彫りになった。スタジオではいのちを守る放送のこれからを考える。
TBS・喜入アナのプレゼンは「能登半島地震 その後も大切に」。これまで能登半島地震を取材してきた喜入アナ。印象に残っているのが輪島市の変わり果てた風景。集落に暮らすのは1組の夫婦だけで無機質な町になってしまったという。喜入アナは「被災地の方も報道を観ているということを心に刻んで取材者として歩んでいきたい」とコメント。
フジテレビ・高崎アナのプレゼンは「東日本大震災を知らない世代に伝えたい」。高崎アナは福島・楢葉町で自宅を津波で失った男性を取材。浪江町では現在語り部をしている女性を取材した。珠洲市で出会った70代の女性の言葉に心を動かされたという。
日本テレビ・杉野アナのプレゼンは「水害は備えられる災害」。大雨警戒レベルの指標を紹介。2019年10月に多摩川が氾濫した際は、映像を見て視聴者へ近づかないよう呼びかけている。杉野アナは「経過を映像で伝える、呼びかけの言葉をプラスする。被災者のいのちを守れるような放送ができたら」とコメント。
テレビ朝日・佐々木アナのプレゼンは「過去の1秒 未来の1秒」。現在は震災遺構となっている石巻市立門脇小学校で、震災当時小学1年生だった女性を取材。来年からは小学校の教諭となって自分の中の記憶を伝えていきたいという。佐々木アナは「地震速報が鳴った時の第一声は誰かを守るための第一声だと思って伝えて行きたい」とコメント。
テレビ東京・狩野アナのプレゼンは「首都直下地震 想定外を想定内に」。注目したのは在宅避難。平時にできる備えを伝えることも大切。キーワードは「大地震の後は水を流さない」。狩野アナが自ら簡易トイレの生活を体験。凝固剤だけでは臭いが気になり重曹などで対応したという。さらにベランダ避難装置を蹴破る体験などをした。
首都直下地震が発生した場合に想定されるのが大規模火災。自分がいる場所から500mの範囲内に2本煙が立った時点で避難を開始しないと都市圏では間に合わない。
NHK・今井アナのプレゼンは「誰も取り残さない よりひとりひとりに届く呼びかけ」。能登半島地震発生直後の放送ではアナウンサーが避難を強く呼びかけ、聴覚障害者へのケアを呼びかけた。「NHKアナウンサー命を守る“呼びかけ”」のHPでは様々な呼びかけなどを公開している。
寺門アナは「同じように悩んで試行錯誤しながら、言葉のチカラを信じていのちを守る放送をみんなで作っていきたい」とコメント。