被災から2年後、藤田アナウンサーは永江社長のもとを訪れ一緒に町を歩いて回った。一番被害の大きかった駅は川村駅で列車が来られなくなり草に覆い尽くされていた。国の有形文化財に登録され、くま川鉄道の象徴でもあった球磨川第四橋梁。橋は川村駅と肥後西村駅の間に位置する川辺川と球磨川の合流地点にあった。全長322メートルの橋が流出し鉄道は分断され全線運転が不可能な状態になっていた。地元住民の生活に大きな影響を及ぼしていた。鉄道橋があった場所へ向かい、豪雨の翌年には一部運行が再開できたがJRとつながる人吉温泉駅と肥後西村駅を繋ぐ重要な区間は未だ運休のままであった。肥後西村駅から人吉温泉駅までの区間は現在、バスに替えて運行している。最も影響を受けたのは通学でくま川鉄道を利用する地元の高校生たちである。現在は数少ない代わりのバスを利用し迂回するルートを通っている。鉄道とは人や物を運ぶ手段であると同時に人と場所と時を繋ぐ存在だと永江社長は言う。人吉温泉駅から先が飛び出てしまった原因である球磨川第四橋梁の流出。現在はその復旧が最終段階を迎えようとしていた。
