今年、能登半島から夢の舞台に挑む人がいる。川崎俊哲(23歳)は石川県輪島市の出身で、プロ野球ドラフト会議で阪神から育成選手として指名を受けた。被災した故郷とへの思いと決意を胸に新たな1年に踏み出す。先月行われた阪神の新人選手の入団会見。川崎は打撃が持ち味で、育成4位で指名され、幼い頃からの夢を叶えた。川崎が野球を始めたのは5歳の頃。地元、輪島高校の野球部では主将を務め、夏の全国高校野球・石川大会で7年ぶりのベスト8に導いた。高校卒業後、野球を続けるため選んだのは、金沢に拠点を置く独立リーグの石川ミリオンスターズ。ここで成績を残し、プロ野球12球団の目にとまることを目指してきた。アルバイトもしながら目標に近づくため努力を重ねた。しかし思うような結果が出せず、入団から4年たっても指名されることはなかった。
さらに追い打ちをかけたのが能登半島地震。地震の発生当時、帰省していた川崎は今は仮設住宅が並ぶ小学校のグラウンドでキャッチボールをしていた。慣れ親しんだ故郷の景色は一変。川崎は被災地を離れ、金沢に戻って野球を続けていいのか悩んだという。こうした中、川崎を支えたのは家族の存在だった。父・哲史さんは輪島塗の販売などの仕事をしてきたが、倉庫は大きく崩れ被害を受けた。その中でも息子には夢を追い続けてほしいと哲史さんが言葉をかけた。父の言葉に背中を押されチームに戻った川崎は自分の活躍を通して地元を元気づけたいと、これまで以上に練習に打ち込んだ。5月から始まったリーグ戦の映像を紹介。川崎は、長打率、出塁率でチームトップに。守りでも活躍し、11年ぶりとなるチームのリーグ優勝に大きく貢献した。ドラフト会議当日、チームメートや監督と見守る。阪神からの指名。復興が道半ばの被災地で自分に何ができるのか。川崎は入団の報告のため、輪島市内のゆかりのある場所を訪ねた。この日、訪ねたのは野球教室で交流を続けてきた子どもたちのもと。保育園の園長は川崎が小学生の頃からよく知る間柄。育成選手として一歩を踏み出した川崎。今後の新たな目標は、1軍の舞台まで上り詰めること。地元に届く活躍を目指す1年が始まる。
さらに追い打ちをかけたのが能登半島地震。地震の発生当時、帰省していた川崎は今は仮設住宅が並ぶ小学校のグラウンドでキャッチボールをしていた。慣れ親しんだ故郷の景色は一変。川崎は被災地を離れ、金沢に戻って野球を続けていいのか悩んだという。こうした中、川崎を支えたのは家族の存在だった。父・哲史さんは輪島塗の販売などの仕事をしてきたが、倉庫は大きく崩れ被害を受けた。その中でも息子には夢を追い続けてほしいと哲史さんが言葉をかけた。父の言葉に背中を押されチームに戻った川崎は自分の活躍を通して地元を元気づけたいと、これまで以上に練習に打ち込んだ。5月から始まったリーグ戦の映像を紹介。川崎は、長打率、出塁率でチームトップに。守りでも活躍し、11年ぶりとなるチームのリーグ優勝に大きく貢献した。ドラフト会議当日、チームメートや監督と見守る。阪神からの指名。復興が道半ばの被災地で自分に何ができるのか。川崎は入団の報告のため、輪島市内のゆかりのある場所を訪ねた。この日、訪ねたのは野球教室で交流を続けてきた子どもたちのもと。保育園の園長は川崎が小学生の頃からよく知る間柄。育成選手として一歩を踏み出した川崎。今後の新たな目標は、1軍の舞台まで上り詰めること。地元に届く活躍を目指す1年が始まる。
住所: 石川県輪島市河井町18部42-2
URL: http://www.ishikawa-c.ed.jp/~wazifh/
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