あの日を境に故郷に帰れなくなった人がいる。町のいたるところに道路を塞ぐバリケード。その向こうにある家屋は、15年前のあの日から時が止まったままのようだ。震災直後は住民であっても立ち入りが厳しく制限された。今では徐々に放射線量も低下したことで、帰還困難区域は狭まってきているが、15年経った今も立ち入りが制限されている地域がある。福島県双葉郡浪江町は、今も町の大部分で原則立ち位置が制限されている。渡部典一(67)は浪江町で生まれ育った。浪江町では許可を得れば自ら開けることができるゲートもある。防護服の着用も義務化されていない。渡部は震災前、牛を育てる畜産農家だった。牛たちは原発事故の影響で商品価値を失ったが、手放すことはできなかったという。渡部の家がある浪江町小丸地区では、おととし1月から帰還希望者のために帰還できる環境を整え始めた。
集落から車で5分ほど離れると、木々や電柱が倒れ歩いていくのも大変な状態になっていた。渡部典一は「道路のインフラが整わなければ(帰還困難区域を)解除できない」と話した。水道や電気などのインフラ整備も課題となっている。震災前、小丸地区には約130人の住人がいた。人が住むことができなくなった今、家屋や車などがそのまま残されている。地域の集会所もそのうちのひとつ。2011年3月のカレンダーがそのままかけられていた。すぐに避難した形跡が残っていた。現在、避難指示が解除された地域に住んでいる渡部だが、生まれ育った場所に戻りたいと準備を進めている。家の周辺は去年、除染してもらったという。国は2029年までに、帰還を望む人から帰れるよう取り組みを行っている。
集落から車で5分ほど離れると、木々や電柱が倒れ歩いていくのも大変な状態になっていた。渡部典一は「道路のインフラが整わなければ(帰還困難区域を)解除できない」と話した。水道や電気などのインフラ整備も課題となっている。震災前、小丸地区には約130人の住人がいた。人が住むことができなくなった今、家屋や車などがそのまま残されている。地域の集会所もそのうちのひとつ。2011年3月のカレンダーがそのままかけられていた。すぐに避難した形跡が残っていた。現在、避難指示が解除された地域に住んでいる渡部だが、生まれ育った場所に戻りたいと準備を進めている。家の周辺は去年、除染してもらったという。国は2029年までに、帰還を望む人から帰れるよう取り組みを行っている。
住所: 福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原22
URL: http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2014/2014-j.html
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