大河内に命を救われたという永井さんは、突然声がでなくなったという。去年の夏に発熱し、喉に痛みが出たという。いくつかの病院をまわり診察を受けたが原因は特定できず。しかし大河内は呼吸がおかしく、声が出ない原因は窒息の予兆ではないかと感じたという。大河内はすぐさま救急車を呼び、大きな病院に搬送した。そこで喉に膿が溜まっていて一刻を争う状況だったことがわかった。大河内は1964年の愛知県生まれの兼業農家の家庭に生まれた。人生が大きく動いたのは小学4年生のとき。脳が炎症を起こす髄膜炎になった。この時病院で病気の特定に時間がかかり危険な状況になっていた。もう手遅れだと医師に診断され、死ぬか助かっても半身不随になると言われたという。この命の危機から生還し、後遺症もなかった大河内はこの経験を経て、医師になることを決意する。1984年に大河内は名古屋市立大学の医学部に入学しそのまま大学病院の内科医として入居。しかしそこにあったのは想像とはかけ離れた世界だった。自分の患者でもその日の症状が専門外と判断されれば、診察することすら許されず、上司にみさせてほしいと訴えても相手にされなかったという。大河内がこの状況に大学病院をやめて2012年におおこうち内科クリニックを開業した。しかし思いもよらない壁が立ちはだかった。