広島・竹原市の大久野島を板垣が取材。大久野島はうさぎ島として知られるが、約80年前には毒ガス製造が極秘で行われていた。約600トンの毒ガスが貯蔵されていた遺跡に板垣は立ち寄った。国際条約で使用が禁じられた毒ガス、戦時中の地図から大久野島は姿をけされ極秘にされていた。毒ガス製造では知らずに働きに来る人もおり、健康被害や命を落とす人もいた。大久野島で守衛として勤務し、健康被害を受けた中丸常登は毎晩毎晩咳き込んでいたなどと娘である山内が語った。山内夫妻は正しく歴史を受け止め後世に伝えていきたいなどと伝えた。政府は一部の毒ガスの使用を認めているが、致死性高い毒ガスは使用明言をしていない。山内夫妻は中国で毒ガス被害者や遺族から話を聞き加害の実態を知った。山内夫妻は未来の子どもたちを絶対に加害者・被害者にしてはいけないなどと話した。