美川さんは1965年に歌手デビューし、デビュー曲は全く売れず、翌年の「柳ヶ瀬ブルース」が大ヒット。デビュー前は喫茶店やビルの清掃員などでアルバイト生活をしていた。ヒットした時は淡谷のり子さんに会って、怖くて後退りしたことを覚えているという。当時、淡谷さんが“ブルースの女王”、美川さんが“ブルースの貴公子”と呼ばれた。美川さんはさんが大切にしていた写真をもらいそれを宝物にしている。また、笠置シヅ子さんとも共演してお世話になった。笠置さんはいつも優しかったという。美川さんの母は若い頃、越路吹雪さんに似ていると言われていて、美川さんは越路さんのファンだった。越路さんを会わせてほしいと淡谷さんに相談し対面が実現した。越路さんは今年で生誕100年。越路さんは過去2回徹子の部屋に出演していて、出演時の映像を放送した。美川さんがシャンソンを歌うようになったのは、声がシャンソン向きだという淡谷さんの助言がきっかけで、淡谷さんと越路さんの教えを受けて活動している。