- 出演者
- 黒柳徹子 美川憲一 綾小路きみまろ
今日のお客様は、美川憲一さん。
美川さんは1965年に歌手デビューし、デビュー曲は全く売れず、翌年の「柳ヶ瀬ブルース」が大ヒット。デビュー前は喫茶店やビルの清掃員などでアルバイト生活をしていた。ヒットした時は淡谷のり子さんに会って、怖くて後退りしたことを覚えているという。当時、淡谷さんが“ブルースの女王”、美川さんが“ブルースの貴公子”と呼ばれた。美川さんはさんが大切にしていた写真をもらいそれを宝物にしている。また、笠置シヅ子さんとも共演してお世話になった。笠置さんはいつも優しかったという。美川さんの母は若い頃、越路吹雪さんに似ていると言われていて、美川さんは越路さんのファンだった。越路さんを会わせてほしいと淡谷さんに相談し対面が実現した。越路さんは今年で生誕100年。越路さんは過去2回徹子の部屋に出演していて、出演時の映像を放送した。美川さんがシャンソンを歌うようになったのは、声がシャンソン向きだという淡谷さんの助言がきっかけで、淡谷さんと越路さんの教えを受けて活動している。
/美川憲一さんが「バラ色の人生」を披露した。
- キーワード
- バラ色の人生
美川さんは、シャンソンは深いから歌ってきて良かったと話した。美川さんが華やかな衣裳を着るようになったのは越路吹雪さんだったが、越路さんに影響を与えたのは淡谷のり子さんだった。2人の思いを継いだ美川さんが伝えたのはコロッケさん。最近コロッケさんが太ってきたから衣裳をあげても合わないため、美川さんは痩せるようコロッケさんによく言っているという。コロッケさんと美川さんは今年の徹子の部屋コンサートに出演する。
美川さんは運動が苦手で、スクワットはたまにしている。年々、実母と育ての母への思いが強くなっているそうで、お線香をあげるときに話しかけている。美川さんは幼少期から鍵っ子で寂しさには強く、寂しいと思ったことはなかったため、結婚は考えなかったという。歌手生活60周年コンサートが7月に開催される。美川さんの目標は100歳まで歌い続けること。元気の秘訣はくよくよしないこと。
エンディング映像。
「DAIGOも台所 ~きょうの献立 何にする?~」の番組宣伝。