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「第二次世界大戦」 のテレビ露出情報

美しい曲を多く生み出したポーランド出身の作曲家・ショパン。彼の作品だけが演奏される5年に1度のコンクールが今年開催される。「ショパン国際ピアノコンクール」は世界3大ピアノコンクールの1つで、若手ピアニストの登竜門といわれる。ただ今回の大会にはこれまでのコンクールとは大きく異なる事情がある。開催国・ポーランドの隣国、ウクライナでロシアによる軍事侵攻が続いていることだ。これまで多くの入賞者を出してきたロシアのピアニストの参加を認めるのかどうか、決断を迫られた主催者たちの葛藤を取材した。主催するのはポーランド国立ショパン研究所。今年2月、予選の出場者を選ぶための演奏動画による審査が行われていた。前回のコンクールでは53の国と地域から約500人がエントリー。予選と本戦を経て日本の反田恭平さんが2位、小林愛実さんが4位に入賞した。ところが、前回のコンクールの後、隣国・ウクライナでロシアによる軍事侵攻が始まり、ポーランドの状況は一変した。ポーランドは第二次世界大戦でソビエトに占領された歴史があり、国民の間でロシアへの警戒感がかつてないほど強まった。コンクールの運営を担うショパン研究所所長のアルトゥル・シュクレネルさんは「ポーランド国民として私達はウクライナ難民の支援に積極的に取り組み、ウクライナ人を兄弟として受け入れてきた。私達誰もが平和を望んでいる。」と話す。実はショパン自身もロシアの圧政に翻弄される人生をおくった。ショパンが生まれた19世紀初頭、ポーランドはロシアの支配下に置かれていたのだ。激しい曲調で知られる「革命のエチュード」は当時ポーランドを離れていたショパンが故郷でロシアに反発する蜂起が失敗に終わったときき、悲嘆と絶望のなかでかいた曲だ。今年のコンクールにロシアからの参加者を受け入れてよいのか、音楽に国境はないという信念のもと、世界に開かれたコンクールを続けてきただけにシュクレネルさんは葛藤した。一時はロシアからの参加者に「侵攻を支持しない」という声明に署名させるなどの案も出たが、議論を続けた結果、ロシア人との参加は認めないが「中立な個人」としてなら参加を認めるとした。その結果、この枠で11人が参加したという。苦渋の判断を迫られたシュクレネルさんはショパンの音楽には国を超えて訴える力があると信じている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月3日放送 13:00 - 13:05 NHK総合
ニュース(ニュース)
アメリカ・ハワイの真珠湾で2日、第2次世界大戦の終結から80年を記念する式典が開かれ、インド太平洋軍のパパロ司令官は日米同盟が強固であることの重要性を強調した。式典には各国の関係者など約1000人が出席した。

2025年9月2日放送 15:50 - 19:00 日本テレビ
news every.4時コレ
会談の冒頭で習主席はプーチン大統領を古い友人よ、北京で再会できてうれしいと歓迎し、プーチン大統領も習主席を親愛なる友人と応じた。プーチン大統領は時折、笑顔を見せ「私たちの緊密な関係はかつてないほど高いレベルにある」と述べるなど、親密さをアピールした。習主席はある行われる軍事パレードにプーチン大統領が出席することについて、第二次世界大戦の成果と歴史の真実を守る[…続きを読む]

2025年8月29日放送 15:10 - 16:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン(ニュース)
5月に発足したメルツ政権は国防費の大幅な増額に舵を切った。6月にはGDPを占める国防費の割合を2.4%から2029年までに3.5%に引き上げることを閣議決定。同じ頃に開かれたNATO首脳会議で加盟国は2035年までに少なくとも3.5%に引き上げることで一致。ドイツでは国防費を巡って大きな動きが続いている。連邦議会は3月に国防費の大幅な引き上げを可能にするため[…続きを読む]

2025年8月28日放送 23:50 - 0:50 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
20世紀初頭。アメリカの黒人の9割が南部に住んでおり、多くが綿花農園の小作人として働いていた。農園の主は白人で、彼らの多くはキリスト教のプロテスタントだ。南部一体はバイブル・ベルトと呼ばれており、南部の州では奴隷制廃止後もジム・クロウ法という独自の黒人を隔離する政策が行われた。黒人たちは故郷から離れ、北部に大移動することになった。
北部の大都市では重工業や[…続きを読む]

2025年7月12日放送 11:55 - 13:30 日本テレビ
サタデーLIVE ニュース ジグザグNEWS
モンゴルを公式訪問されている天皇皇后両陛下。第二次世界大戦後、モンゴルで抑留中に命を落とした人たちの慰霊碑を訪問された。1945年8月15日に終戦を迎えたはずだった第二次世界大戦。57万人以上の日本人が旧ソ連の捕虜となった。シベリアなどで労働力として抑留されるなか、約1万4000人はモンゴルに移送。抑留者たちは都市の建設などの強制労働をさせられ約2000人が[…続きを読む]

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