ゴジラなどで知られる円谷英二監督がかつて企画した幻の映画「日本ヒコーキ野郎」。そのモデルとなった伊藤音次郎は千葉県・習志野市で草創期の飛行機開発に名を刻んだという。12年に渡り調査を続けてきた長谷川隆さんは伊藤音次郎を現代に伝える活動をしている。伊藤音次郎は明治24年生まれ。17歳の時にライト兄弟の映像を見て飛行機の開発者を志した。24歳で独立した。伊藤が自らの研究所を立ち上げたのは現在の千葉市内。長谷川さんは伊藤の60年分の日記やメモを読み込んだ。伊藤は手作りした飛行機で千葉と東京の往復飛行を初めて成功させた。伊藤は民間事業にこだわった。GHQによって飛行機の開発が禁止されるまで開発に関わり続けた。長谷川さんは研究の成果を1冊の本にまとめた。