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「老人保健施設たき」 のテレビ露出情報

平泳ぎ世界記録保持者の木村さん。彼女が生まれたのは広島県呉市。ニューヨークで株の大暴落が起き、世界恐慌や戦争への引き金になった年。アンネの日記で有名なアンネ・フランクとも同い年。父親が海軍の軍人だったこともあり経済的には恵まれた環境だった。広島県の江田島市で過ごし、この海で蛙泳ぎと呼んでいた平泳ぎと出会う。今から80年前に木村さんが13歳のときに父の実家にあった出雲の多伎町へ。海で育った木村さん。水泳部で好記録を連発し充実な学生生活はわずか1年し持たなかった。その後戦争が始まり、太平洋戦争で大好きな水泳は取り上げられた。これが思うようにいかない人生の始まりだったという。不満などを言えない時代だったがやがて終戦を迎えると木村さん一家は多伎町に移り住むことになった。翌年に木村さんは島根県の水泳大会に出場し200m平泳ぎで優勝するが、戦争のブランクもあってか、思うような記録ではなかったという。終戦後、島根で運命の出会いが。多伎町に帰ってすぐに入った青年団に一人の礼儀正しい青年がいた。それが夫の木村鮮三さんだった。木村さんは副団長をする中で心をときめかせたという。しかし相手が貧乏という理由で結婚を親に反対されたが、ここでも負けず嫌いで説得。こうして望んだ相手と結婚した。
望んだ相手と結婚できたという木村さん。しかしその甘い生活もわずか2ヵ月。夫が結核にたおれたという。無理を通した手前実家を頼るわけにはいかず、奮闘の日々が始まった。働けない夫だけでなく、生まれたばかりの息子を抱え、必死に働く毎日。家族を支え続け10年、夫の病状が快方に向かい始めた。その後仕事にも復帰するとようやく生活は安定。やがて子育ても終えて義理の両親を看取ると余裕ができた。60歳になっていたがプールを離れて40年経過していた。還暦をすぎて水泳を再び再開した。しかし長年続けていた畑仕事が泳ぎの基礎に。好記録を連発し、シニアの大会では上位入賞をした。また夫もその姿に喜んでくれていたという。夫婦水入らずで過ごしていたが夫ががんを発症。78歳で死去した。普通ならば目標を失ってもおかしくないが、木村さんはその後も水泳に熱中したという。喜寿を超え、木村さんはひたすらプールで水をかき続ける。
住所: 島根県出雲市多伎町小田50-7

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月25日放送 1:45 - 2:45 フジテレビ
FNSドキュメンタリー大賞逆流を泳ぐ〜96歳悦子さんの平泳ぎ人生〜
島根県多伎町に住んでいる木村さん。リビングとキッチンがある二階で暮らしている。夫が亡くなって20年以来独身生活をしている。水泳の賞状は最近のものばかり。木村さんが本格的に水泳の大会に出場しはじめたのは、60歳を過ぎてから。注目を浴びたのは2024年の日本マスターズ水泳 短水路大会。愛媛県で開催されたマスターズの大会で95歳から99歳の平泳ぎの部に出場し、この[…続きを読む]

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