2025年9月25日放送 1:45 - 2:45 フジテレビ

FNSドキュメンタリー大賞
逆流を泳ぐ〜96歳悦子さんの平泳ぎ人生〜

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(オープニング)
今回は…

島根県多伎町に住んでいる木村悦子さん。取材時は95歳だが畑仕事を一人でこなす。子ども夫婦と別の家で猫と二人で暮らしている。高齢化が島根県では珍しくない光景だが、木村さんは95歳ながら高齢の現役スイマー。平泳ぎ50m、100m、200mの世界記録保持者。今回は木村さんのパワーの源に迫る。

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オープニング

オープニング映像。

逆流を泳ぐ〜96歳悦子さんの平泳ぎ人生〜
逆流を泳ぐ〜96歳 悦子さんの平泳ぎ人生〜

島根県多伎町に住んでいる木村さん。リビングとキッチンがある二階で暮らしている。夫が亡くなって20年以来独身生活をしている。水泳の賞状は最近のものばかり。木村さんが本格的に水泳の大会に出場しはじめたのは、60歳を過ぎてから。注目を浴びたのは2024年の日本マスターズ水泳 短水路大会。愛媛県で開催されたマスターズの大会で95歳から99歳の平泳ぎの部に出場し、この年代での50m、100m、200mを一気に更新した。しかしそうし賞状やトロフィーにはそこまで執着がないという。

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2024年度 日本マスターズ水泳 短水路大会多伎町(島根)

子どもたち家族の手は借りずに一人暮らしで、25年ほど乗っているバイクはエンジンの調子は悪くなったがまだまだ現役。5分ほどでスーパーに到着し、買い物を行った。食欲もあり、健康そのもの。週に2回のプールの日だが、その出雲市内のプールに行くのにはバスでと徒歩で40分を15キロかけて向かう。木村さんが通うのは誰もが参加できるスイミングスクール。この日は仲間たちと一緒に泳いだ。指導するのはスイミングスクールの川上浩之コーチ。世界記録にはこのコーチの力が必要だという。コーチも舌を巻く木村さんの熱意。クロールも背泳ぎもできるが、競技種目に平泳ぎを選んでいるところに秘密があるが平泳ぎが一番勝てる。それがこの種目を選んだ理由だという。とにかく負けずキライだと答えた。

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多伎町(島根)

木村さんは要支援ランクは1だったが、ついついなんでもできると答えたことから、要支援0になりそうだという。すると市のトレーニング施設が使えなくなってしまう。幸い少し認定は遅れたが、要支援は1のまま変更はなかったという。しかしその人生を振り返るとうまいことばかりではなかったという。

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老人保健施設たき

平泳ぎ世界記録保持者の木村さん。彼女が生まれたのは広島県呉市。ニューヨークで株の大暴落が起き、世界恐慌や戦争への引き金になった年。アンネの日記で有名なアンネ・フランクとも同い年。父親が海軍の軍人だったこともあり経済的には恵まれた環境だった。広島県の江田島市で過ごし、この海で蛙泳ぎと呼んでいた平泳ぎと出会う。今から80年前に木村さんが13歳のときに父の実家にあった出雲の多伎町へ。海で育った木村さん。水泳部で好記録を連発し充実な学生生活はわずか1年し持たなかった。その後戦争が始まり、太平洋戦争で大好きな水泳は取り上げられた。これが思うようにいかない人生の始まりだったという。不満などを言えない時代だったがやがて終戦を迎えると木村さん一家は多伎町に移り住むことになった。翌年に木村さんは島根県の水泳大会に出場し200m平泳ぎで優勝するが、戦争のブランクもあってか、思うような記録ではなかったという。終戦後、島根で運命の出会いが。多伎町に帰ってすぐに入った青年団に一人の礼儀正しい青年がいた。それが夫の木村鮮三さんだった。木村さんは副団長をする中で心をときめかせたという。しかし相手が貧乏という理由で結婚を親に反対されたが、ここでも負けず嫌いで説得。こうして望んだ相手と結婚した。

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望んだ相手と結婚できたという木村さん。しかしその甘い生活もわずか2ヵ月。夫が結核にたおれたという。無理を通した手前実家を頼るわけにはいかず、奮闘の日々が始まった。働けない夫だけでなく、生まれたばかりの息子を抱え、必死に働く毎日。家族を支え続け10年、夫の病状が快方に向かい始めた。その後仕事にも復帰するとようやく生活は安定。やがて子育ても終えて義理の両親を看取ると余裕ができた。60歳になっていたがプールを離れて40年経過していた。還暦をすぎて水泳を再び再開した。しかし長年続けていた畑仕事が泳ぎの基礎に。好記録を連発し、シニアの大会では上位入賞をした。また夫もその姿に喜んでくれていたという。夫婦水入らずで過ごしていたが夫ががんを発症。78歳で死去した。普通ならば目標を失ってもおかしくないが、木村さんはその後も水泳に熱中したという。喜寿を超え、木村さんはひたすらプールで水をかき続ける。

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秋めいたある日、木村さんはお出かけしていた。調子の悪い膝に注射をうちに向かうという。膝への注射は大会出場前のルーティン。衰えもま立ちはだかる壁。みてもらうのは20年の付き合いがある主治医の先生。膝の軟骨が減っているが、注射をうつと泳ぎも良くなるという。ねんりんピックという高齢者のスポーツ、文化交流の採点があり2024年に鳥取県で開催する。大会10日前、木村さんは大会に少々不満があるというが、相手が11歳も年下で勝てる気がしないという。公式大会では95歳以上の大会に出る予定だが、ねんりんピックのカテゴリーわけは85歳以上の部が一番上で10歳も年下の選手と泳ぐことになる。

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全国健康福祉祭島根大学医学部附属病院

そして迎えた大会本番。50m平泳ぎ85歳以上の部に出場。相手は87歳と88歳の選手。その結果記録は1分17秒。この大会は公認記録にはならないが世界記録よりも0.62秒速い好成績。しかし銅メダルだったために表情は晴れない。翌日、平泳ぎ25mの部に出場。最下位の4着だったが95歳以上の記録を上回り、10秒以上早くゴールした。次の狙いを平泳ぎ25mの記録に定めた。大会は半年後の春に広島大会があるという。木村さんは紅葉狩りにきていたが友人と一緒に楽しんだ。また同い年の友達に聞きたいことがあるという。木村さんはまもなく迫るバイクの免許更新の認知検査の内容を聞いていた。そのバイクは25年も乗っているがかなりくたびれているが、どうしてもこのバイクが必要な理由がある。

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全国健康福祉祭出雲市(島根)米子市(鳥取)鰐淵寺

木村さんは相棒のバイクで向かったのは最愛の夫のお墓。ここは心休まる場所でバイクの免許を更新したいと願う理由。しかし95歳となると免許の 更新も楽ではない。さらに視力が0.3しかなかったという。また白内障も分かったが手術をすると水泳は一ヶ月出来ないという。4月に大会をひかえているためこのブランクは大問題。悩んだが手術を行い、大会に間に合うよう練習することに。しかし、手術予定日の前日に木村さんは既に病院に入院していた。バイクで転倒し、右足は装具がつくほどの大怪我。右ひざの半月板を損傷してしまったという。大会も免許も絶望的と語った。その事故から2週間、もうリハビリを開始ししていた。また40年来の友人も同じ病棟に入院していて、励ましてもらっていた。病室へは医師や看護師が次々にやってきて気弱になった心を支えてくれた。さらに怪我をした部分も良くなっているという。木村さんは持ち前の負けん気でリハビリを行った。

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2ヶ月後、木村さんは再びプールへ。生きた心地がすると平泳ぎを練習した。

(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

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