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今回は珠洲市で活動を続ける男性を特集。
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- 珠洲市(石川)
オープニング映像。
能登半島地震から一ヶ月、石川県珠洲市正倉院にいた美容師の瓶子さん。その朝の日課は避難所で水を汲むこと。髪を切りたいという避難所でも声に、地震が発生した2週間後には店を再開した。震災後は店舗兼自宅は被災し、知り合いの家を間借りして生活している。珠洲市はここ数年大きな地震が相次いでいる。2022年に震度6弱、23年には震度6強。去年には能登半島地震に見舞われた。半島の先端に本格的な救助隊が到着したのは地震が発生した翌日。発生直後に避難を呼びかけたり救助活動をしたのは地元の消防団。瓶子さんも不眠不休で活動した。
瓶子さんは日常を取り戻すために避難所で生活する人の髪の毛をカットした。さらに、避難所には一ヶ月経過しても100人ほどが身を寄せていた。瓶子さんの母の睦子さんは、家族と離れて避難所に1人残った。友人と一緒にボランティア活動を行った。一緒に生活をするからこそ、その人達の気持ちがわかる。また瓶子さんお家は一部損壊とされたという。そうなると仮設住宅や公費解体が申請できない。
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- 令和6年 能登半島地震正院町(石川)
夜に地元住民たちはそれぞれの将来の不安を吐露した。能登には祭りがあり、正院キリコ祭り毎年2日間開かれ、奴振りは珠洲市の無形文化財に指定され継承される。しかし前年の地震で正院町は祭りを中止した。
この日は消防団員たちがお昼の炊き出しを買って出た。この日250人にうどんを振る舞った。24年4月、瓶子さんの店舗兼自宅は再調査で一部損壊から全壊の判定に。仮設住宅の入居が決まった。家は公費解体し再建を目指すことに。春に、暮らしが一歩前に進んだ。この頃には妻はある決断に外に出る決断をした。
仮設住宅の建設が進み、避難所は縮小し公民館に移動。小学校は子どもたちのものへと帰った。しかし、避難所の暮らしが終えても元の暮らしが戻るわけではなく、5月には輪島市の仮設住宅で70代の女性が孤独死。睦子さんたちも地域の人たちが心配だと声をかけてまわった。
地震で倒壊した須受八幡宮。その中には大事なお祭りの道具が入っているという。その僅かな隙間から探し出してみようと瓶子さんらが集まった。24年7月には祭りについて瓶子さんらが地元民について説明を行った。しかし中にはまだ危険が伴うなどという意見も出た。
協議の結果お祭りは被害の状況を考慮して神輿の渡御がなし。時間やルートなどを変更して実施されることに。祭りが開催し、地元民が喜んだ。さらに市の無形民俗文化財の正院や公費も実施された。そして24年9月には奥能登豪雨が発生。消防団員たちも市内のパトロールや救助活動にあたった。能登半島地震の発生から1年で珠洲市の人口は約1割減少した。そのために更地が目立つようになった。瓶子さんの息子は金沢での就職がきまり、この母や兄弟と珠洲を離れるという。2025年1月には能登半島地震から1年を迎えた。正月を迎え、1月1日には追悼が行われた。
エンディング映像。
