協議の結果お祭りは被害の状況を考慮して神輿の渡御がなし。時間やルートなどを変更して実施されることに。祭りが開催し、地元民が喜んだ。さらに市の無形民俗文化財の正院や公費も実施された。そして24年9月には奥能登豪雨が発生。消防団員たちも市内のパトロールや救助活動にあたった。能登半島地震の発生から1年で珠洲市の人口は約1割減少した。そのために更地が目立つようになった。瓶子さんの息子は金沢での就職がきまり、この母や兄弟と珠洲を離れるという。2025年1月には能登半島地震から1年を迎えた。正月を迎え、1月1日には追悼が行われた。