きょう公開された外交文書には、1993年、貿易自由化を議論するGATT(ウルグアイラウンド)で国内農家の反発がある中農業分野が実質妥結に至るまでの日米交渉の内容などが記録されている。この年の4月に行われた宮沢総理大臣とクリントン大統領との首脳会談でも米の市場開放を巡って意見が交わされている。宮沢総理大臣は、この4年前に参議院で自民党が過半数割れしたことに触れ、「受け入れには法改正を要するが参議院で少数与党なので実現できない。牛肉・かんきつの自由化を行い選挙で大敗したからだ」と反対姿勢を示している。これに対し米国側は「日本だけを例外扱いできない」と強くコメの市場開放を迫り、交渉終盤にかけて厳しいやり取りが続いていた様子がうかがえる。交渉が動いたのは自民党政権に代わって発足した非自民8党派による細川政権のもとだった。12月、日本のコメについてはほかの農産物のような全面的な市場開放はしない一方、一定量の輸入を義務づける調整案がGATT側から示され実質的に妥結した。この際、ジュネーブで最終交渉にあたっていた羽田外務大臣からの報告内容も公開され、「ギリギリまで最大限の努力を行った。ウルグアイラウンドの成功のため日本としても大局的見地から判断を下さなければならない」と伝えている。当時について細川元総理大臣は「針の穴に糸を通すような大変な作業だった」と述べた。