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「自衛隊」 のテレビ露出情報

福岡県と大分県であわせて40人が亡くなるなど大きな被害が出た九州北部豪雨から7年。日田市・小野地区で発生した土砂崩れの直後に記録された119番通報の音声。大規模な土砂崩れが発生。通報で一命を取り留めた美野さんは全治2か月の大けがだった。けがは回復し、いまも現場近くで暮らしている。土砂崩れに巻き込まれたときの様子をはっきりと覚えているという。偶然通りかかった近所の住民が通報し、奇跡が重なって助かった命だった。当時の雨雲レーダーを見ると、7月5〜6日にかけて雨が強く降り続いた様子が分かる。土砂崩れが発生したのは雨が小康状態になった6日午前10時前、避難指示はまだ出されていた。美野さんは5日は外に出ず自宅で過ごしていたが、翌朝には地域の民生委員としての責任などから公民館に避難している住民の様子を見に行き、公民館からの帰宅途中で土砂崩れに巻き込まれた。美野さんは油断したと語った。「災害で誰も命を落としてほしくない」として美野さんは別の地区の住民を対象に開かれた防災の勉強会で体験談を語った。防災、減災に詳しい大分大学・鶴成教授は「大雨が落ち着いたあとに山や川岸が崩れる事例は多数確認されている。雨がやんだとしても災害の危険が去ったわけではない」と指摘した。今月12日には松山市中心部の山の斜面が崩れ、3人が死亡。鶴成教授は「大雨が予想される際は早期避難など命を守るための行動を心がけてとほしい」などと強調した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月8日放送 5:25 - 8:14 フジテレビ
めざましテレビNEWS
天皇皇后両陛下は戦後80年にあたり日米双方約3万人が戦死した硫黄島を初めて訪問された。鎮魂の丘など3か所に足を運んで白い花束を手向け、猛烈な熱さと乾きに苦しんだ人たちを悼み静かに水を注ぎ深く拝礼された。また、訪問に同行した戦没者の遺族などと懇談された。

2025年4月8日放送 4:55 - 5:25 フジテレビ
めざましテレビ全部見せNEWS
天皇皇后両陛下は戦後80年にあたり、日米双方約3万人が戦死した硫黄島を初めて訪問された。硫黄島戦没者の碑や鎮魂の丘など3か所に足を運んで白い花束を手向け、猛烈な暑さと乾きに苦しんだ人たちを痛み、静かに水を注ぎ、深く拝礼された。また今回の訪問に同行した戦没者の遺族などと懇談された。両陛下は強制疎開後、帰島できない元島民について本当にみなさんご苦労なさったんです[…続きを読む]

2025年4月8日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニング独自取材
先週木曜、東京の港区役所が在日米軍の新たな部署が都心の六本木に設置されるという内容を発表。先月24日、防衛省内に新たに設立された統合作戦司令部は、陸海空の自衛隊を一元的に指揮するが、これに合わせて連携する在日米軍も機能をより強化した統合軍司令部に格上げする計画がある。しかし現在、在日米軍の司令部がある横田基地は市ヶ谷の防衛省と30km以上離れており、移動に時[…続きを読む]

2025年4月7日放送 23:30 - 0:15 フジテレビ
FNN Live News α(ニュース)
天皇皇后両陛下は午後太平洋戦争の激戦地で島民を含む日米双方約3万人が戦死した硫黄島を訪れ始めて訪問した。両陛下は硫黄島戦没者の碑や鎮魂の丘などに足を運び猛烈な暑さと渇きに苦しんだ人たちを悼み水を注ぎ拝礼、また戦没者の遺族などと懇談した。両陛下は強制疎開後帰島が叶わない元島民について寄り添われた。両陛下は見送る自衛隊員に歩み寄り声をかけ戦後80年の節目にあたる[…続きを読む]

2025年4月7日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(戦後80年 記憶が歴史になる前に)
太平洋戦争の激戦地・硫黄島。1944年7月に疎開命令が出されたが、16歳以上の健康な男性は島に残り軍を支援。その数103人。アメリカ軍の物量作戦で戦況は日に日に悪化。戦いが終結したのは45年3月26日。103人のうち生き残ったのは10人ほど。島はその後、米軍の重要な基地となった。今も自衛隊の基地を使って米軍が定期的に訓練を行っている。日本政府は強制疎開させた[…続きを読む]

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