蔦重が次に売出したのは謎の絵師東洲斎写楽。大判の役者大首絵をひっさげて、背景に平ずりを施すなど力を入れるもいまいちだったという。また美しいおやまのはずが、美化せず見た目そのままを描いたために役者筋からの評判は悪かったという。一方、当代随一の人気絵師になった歌麿は多くの版元とともに様々な美人画を描いた。蔦重は新しい才能がいないかとその中に葛飾北斎が。しかし蔦重はその最中病気で亡くなってしまった。その3年後に美人大首絵は禁止に。
© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.