石川県・輪島市にある町野町。能登半島地震では犠牲者が出たり住宅が倒壊するなど大きな被害を受けた。この地区で被災者やボランティアのため広島のお好み焼きを焼き続ける男性がいる。広島市でお好み焼き店を営んでいる佐渡忠和さんだ。震災の発生から2日後に700kmあまりを車で走ってこの地区に入り、物資の支援やお好み焼きの炊き出しを行ってきた。東日本大震災をきっかけに熊本地震、西日本豪雨など災害のたびに店を閉めて現地に向かい広島と被災地を往復して支援を続けてきた。ボランティア歴13年のベテランは能登半島地震のあと大きな決断をした。被災地に移住して支援するため20年続けた店を閉めることを決めたのだ。会社経営をしていた40代。妻と2人の子どもがいたが仕事ばかりに没頭し海外を飛び回る日々だった。しかし好調だった会社の業績は次第に悪化。会社は破産し妻とも離婚し、自分の子どもたちと向き合えずに過ごした時間を後悔したという。お好み焼店を開き経営も軌道に乗ってきた2011年。東日本大震災が佐渡さんの人生の転機となった。被災者を助けたいと同じ年の8月、初めて被災地に向かった。それから毎年夏の2ヶ月ほど店を閉め被災地の保育園などでお好み焼きの炊き出しを続けた。お好み焼きを食べる子どもたちの笑顔が生きがいになっていったという。現在佐渡さんが活動している町野町では被災後多くの子供達が地区から避難していった。子供達が戻ってこられる町に復興させたいと移住を決めた佐渡さんは被災した空き家を購入して活動の拠点にすることにした。炊き出しを続けるなかで倒壊した住宅の片付けなど支援の人手が足りていない現状を目の当たりにした佐渡さんはこれまでの体験で培った人脈をいかし、今はボランティアの呼び込みにも力を入れている。地域の子供達が安心して戻ってこられる日のためにこの地で復興に関わり続ける覚悟だ。佐渡さんは「この町野町は子どもの数が非常に少ない。もう一度町野に戻ってこようという決断と思いをできるような活動を続けたい。」と語った。