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「西遊記」 のテレビ露出情報

堺正章、芸能生活63年、78歳。音楽番組やバラエティー番組などの日本を代表するテレビ司会者というイメージが強いが、原点はミュージシャン。グループサウンズの礎を築いたバンド・ザ・スパイダースに16歳で加入。かまやつひろしや井上順など豪華メンバーが集い、グループで楽器を演奏しながら、オリジナル曲を歌うそれまでの日本の音楽シーンにはなかった新たなスタイルを確立。グループサウンズブームをけん引。デビューから3年後、1966年にリリースした「夕陽が泣いている」が、120万枚を超える大ヒット。人生が一変したという。その後「なんとなくなんとなく」「あの時君は若かった」など、立て続けにヒットを飛ばし、主演映画も公開。
堺正章にインタビュー。堺は「タイガースのメンバーは、スパイダースのファンクラブの会員」と語った。ザ・スパイダース解散後は、TBSドラマ「時間ですよ」の挿入歌「街の灯り」や50万枚以上売り上げた「さらば恋人」などソロアーティストとしても活躍。1981年、音楽番組「ザ・トップテン」がスタート。司会者としての地位を築き上げていく。秘蔵映像は、1982年9月27日の生放送。「NINJIN娘」を披露する超人気アイドル・田原俊彦にマイクが落ちるハプニング。堺がマイクを投げた。堺は「ずっと歌を歌ってやっていけたらいいな。ヒットもなくなってきて、自分の身の振り方を考えなきゃいけない時があった。そういう仕事をもらえるのは嬉しいなと頑張ってきた。根底にあるものは“紹介される方だよね”」と語った。司会のみならず、コントに挑戦したり、「西遊記」をはじめ、主演ドラマも大ヒット。マルチに活躍し、お茶の間の大スターとなった。堺の愛称といえば、Mr.かくし芸。30年以上、お正月の風物詩として、体を張った芸を披露してきた。堺が出版した本「最高の二番手」を紹介した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月9日放送 9:26 - 11:00 テレビ東京
なないろ日和!(特集)
2人が訪れたのは御茶ノ水駅前に架かる聖橋。この橋ゆかりの曲はさだまさしの「檸檬」。橋は1972年に完成。設計は京都タワーや日本武道館などを設計した山田守氏。続いて訪れたのは徳川聖堂。元禄3年、徳川綱吉によって建てられた湯島聖堂。関東大震災で大部分が焼失。昭和10年に大成殿が再現された。この寺は1978年放送のドラマ「西遊記」の撮影に使われた。続いて訪れたのは[…続きを読む]

2025年4月4日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブル(インタビュー 堺正章)
1960年にオープンした老舗イタリアンレストラン「キャンティ」。数多くのスターが愛したこの店で待ち合わせたのはマチャアキの愛称で親しまれるタレント・堺正章さん。厳しい芸能の世界で60年以上の長きにわたりトップを走り続けてきた。歌手として1971年には「さらば恋人」が大ヒット。俳優としても「西遊記」「時間ですよ」など大ヒットドラマに出演し、その後司会業にも挑戦[…続きを読む]

2025年3月23日放送 21:00 - 21:54 日本テレビ
行列のできる相談所最強弁護士VS若手弁護士
堺正章からの法律相談。初めて訪れた高級寿司屋はメニュー表がなく、「おまかせ」を注文。堺は10貫、一緒に訪れた友人は20貫以上を食べて会計。金額は2人で20万円で明細なし。これが許されるのか、弁護士らに見解を聞く。

2025年3月11日放送 0:44 - 1:27 NHK総合
“傷み”とともに 〜西田敏行 知られざる故郷の物語〜(“傷み”とともに 〜西田敏行 知られざる故郷の物語〜)
福島県郡山市で西田敏行は生まれた。小学校からの同級生の村上賢一さんは中学生時代の西田敏行について「ひょうきんもので目立ちたがりや」だと語った。西田敏行はちゃんばら映画を見て映画俳優になることを目指すようになり、福島から東京に出て、舞台や映画に出るようになり注目されていった。そうした中でも故郷の福島には頻繁に通っていたという。西田敏行と学生の頃からの友人の村上[…続きを読む]

2025年2月25日放送 11:50 - 13:50 フジテレビ
ぽかぽかぽいぽいトーク
本日のゲストの堺正章さんを迎えた。堺正章さんは2回目の登場について「失敗を取り戻そうと思って」などと話した。堺正章さんは16歳の時にグループサウンズのパイオニアと呼ばれたザ・スパイダーズに加入。さらにソロ歌手としても日本レコード大賞大衆賞受賞や紅白歌合戦出場も果たすなど、大きなインパクトを残した。俳優としても24歳の時にドラマ「時間ですよ」に出演すると、知名[…続きを読む]

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