元信者の中田さんは元暴力団の幹部である。地下鉄サリン事件の後詐欺未遂で有罪となりその後脱会した。中田さんは武器の調達などをしていた。井上嘉浩が死刑執行前に書いた手紙の内容を紹介。麻原からクーデターの計画を直接聞いていたと記されていた。中田は目的を知らされないままサリンを製造するプラントの製造に関わっていたという。麻原は国の行政機関を模倣し24の組織からなる省庁制を導入した。
当時、警察庁外事課理事官だった北村はオウム真理教は疑似国家を目指していたと言っていいと思うなどと話した。麻原が20代の時に通っていた寿司屋の店主が鍼灸院時代の麻原について話した。
麻原は熊本県八代市で生まれた麻原は盲学校に通っていた。右目は見えた麻原は同級生を見下し優越感に浸っていたという。1984年28歳の時にヨガサークルを設立した。16歳で入信した井上嘉浩の入信理由を紹介した。井上は高校の先輩に麻原に心酔するきっかけとなった出来事を打ち明けていた。麻原はカネを根こそぎ吸い上げていった。中田さんいわく貯金にしてもお金にしても決められた以外は全部寄付だったなどと話した。麻原は様々なビジネスを展開した。1994年、麻原はサティアンと呼ばれる拠点を作り上げた。
麻原は教団設立まもない時期に国家転覆のクーデターについて語っていた。オウム発足当初から取材していた雑誌編集者はヒトラーの本が目についた話をした。今回ロシアでの闇の活動の一旦が明らかになった。ロシア人の元信者から麻原の現地での活動が記録された映像を入手した。教団のオーケストラも結成していた。わずか3年でロシア人信者は3万人を超えた。麻原はロシアの要人と次々に面会した。ロシアンコネクションを活かし武器の調達を行っていた。建設省の早川は20回以上ロシアに渡航し暗躍していた。
早川の部下だった中田は部屋に呼ばれて武器商人が持って歩いているカタログがたくさん積んであったのを目にしていた。麻原から軍事転用可能なヘリコプターを入手するよう指示されていた。早川は旧ソ連製のヘリコプターを購入。オーストリアでは武器商人として知られていた。操縦訓練も信者に行わせていた。実際に訓練が行われていた飛行場の教官が当時のことを記憶していた。キム村さんはロシアで武装化を押し進めていたと話した。
麻原は武装化を進める一方でテレビ番組に次々と出演した。麻原を撮影した編集者が舞台裏を明かした。田原さんはジャンプだと話した。麻原が大きく11月戦争に舵を切った出来事があった。1990年麻原は衆議院選挙に立候補したが落選した。選挙の3ヶ月後、麻原はハルマゲドンが近づいていると信者の危機感を煽った。信者の中川智正は11の事件27人の殺害に関与し死刑となった。医師として働いていたが出家の2カ月後には殺人に手を染めていた。坂本弁護士一家殺害事件で一家全員を殺害した。中川は具体的な手法をアメリカの精神科医が来た際に打ち明けていた。麻原は殺人をポアだとして正当化していた。
中川の学生時代の親友・久保田さんは中川が最後に言っていたのは教団は麻原のイエスマンしかいないという。11月戦争に向け麻原は大量の破壊兵器にも手を伸ばした。核兵器の原料入手を海外で模索していたという証言を得た。クルチャトフ研究所でオウムは大量破壊兵器の情報を集めていたという。開発の責任者は土谷正実だった。教団は旧上九一色村に土谷専用の研究所を作った。土谷の元でサリンの生成に関わった元信者が取材に応じた。サリンの開発には数人の信者が連日従事した。開発開始から7カ月で30キロ余りのサリンの生成に成功した。
この頃から麻原は自衛隊などから毒ガス攻撃を受けている陰謀論を主張し始めた。1994年に松本サリン事件が発生した。死者8人、負傷者140人以上に上った。麻原は国家転覆Xデーを1995年11月と定めた。麻原はある事件を起こしたことで計画が狂っていく。当時の警視総監の井上が捜査の内幕を明かした。多額の資金を必要としていたオウムは各地で資産家を狙った事件を起こしていた。そして30年前の今日地下鉄サリン事件が起こった。死者14人、負傷者約6300人の被害となった。強制捜査に入った元捜査員が当時のことを話した。強制捜査の2か月後に麻原彰晃が逮捕された。また高橋シズヱさんが30年間被害者の救済活動に尽力している。2018年7月に麻原彰晃ら幹部13人の死刑が執行された。
当時、警察庁外事課理事官だった北村はオウム真理教は疑似国家を目指していたと言っていいと思うなどと話した。麻原が20代の時に通っていた寿司屋の店主が鍼灸院時代の麻原について話した。
麻原は熊本県八代市で生まれた麻原は盲学校に通っていた。右目は見えた麻原は同級生を見下し優越感に浸っていたという。1984年28歳の時にヨガサークルを設立した。16歳で入信した井上嘉浩の入信理由を紹介した。井上は高校の先輩に麻原に心酔するきっかけとなった出来事を打ち明けていた。麻原はカネを根こそぎ吸い上げていった。中田さんいわく貯金にしてもお金にしても決められた以外は全部寄付だったなどと話した。麻原は様々なビジネスを展開した。1994年、麻原はサティアンと呼ばれる拠点を作り上げた。
麻原は教団設立まもない時期に国家転覆のクーデターについて語っていた。オウム発足当初から取材していた雑誌編集者はヒトラーの本が目についた話をした。今回ロシアでの闇の活動の一旦が明らかになった。ロシア人の元信者から麻原の現地での活動が記録された映像を入手した。教団のオーケストラも結成していた。わずか3年でロシア人信者は3万人を超えた。麻原はロシアの要人と次々に面会した。ロシアンコネクションを活かし武器の調達を行っていた。建設省の早川は20回以上ロシアに渡航し暗躍していた。
早川の部下だった中田は部屋に呼ばれて武器商人が持って歩いているカタログがたくさん積んであったのを目にしていた。麻原から軍事転用可能なヘリコプターを入手するよう指示されていた。早川は旧ソ連製のヘリコプターを購入。オーストリアでは武器商人として知られていた。操縦訓練も信者に行わせていた。実際に訓練が行われていた飛行場の教官が当時のことを記憶していた。キム村さんはロシアで武装化を押し進めていたと話した。
麻原は武装化を進める一方でテレビ番組に次々と出演した。麻原を撮影した編集者が舞台裏を明かした。田原さんはジャンプだと話した。麻原が大きく11月戦争に舵を切った出来事があった。1990年麻原は衆議院選挙に立候補したが落選した。選挙の3ヶ月後、麻原はハルマゲドンが近づいていると信者の危機感を煽った。信者の中川智正は11の事件27人の殺害に関与し死刑となった。医師として働いていたが出家の2カ月後には殺人に手を染めていた。坂本弁護士一家殺害事件で一家全員を殺害した。中川は具体的な手法をアメリカの精神科医が来た際に打ち明けていた。麻原は殺人をポアだとして正当化していた。
中川の学生時代の親友・久保田さんは中川が最後に言っていたのは教団は麻原のイエスマンしかいないという。11月戦争に向け麻原は大量の破壊兵器にも手を伸ばした。核兵器の原料入手を海外で模索していたという証言を得た。クルチャトフ研究所でオウムは大量破壊兵器の情報を集めていたという。開発の責任者は土谷正実だった。教団は旧上九一色村に土谷専用の研究所を作った。土谷の元でサリンの生成に関わった元信者が取材に応じた。サリンの開発には数人の信者が連日従事した。開発開始から7カ月で30キロ余りのサリンの生成に成功した。
この頃から麻原は自衛隊などから毒ガス攻撃を受けている陰謀論を主張し始めた。1994年に松本サリン事件が発生した。死者8人、負傷者140人以上に上った。麻原は国家転覆Xデーを1995年11月と定めた。麻原はある事件を起こしたことで計画が狂っていく。当時の警視総監の井上が捜査の内幕を明かした。多額の資金を必要としていたオウムは各地で資産家を狙った事件を起こしていた。そして30年前の今日地下鉄サリン事件が起こった。死者14人、負傷者約6300人の被害となった。強制捜査に入った元捜査員が当時のことを話した。強制捜査の2か月後に麻原彰晃が逮捕された。また高橋シズヱさんが30年間被害者の救済活動に尽力している。2018年7月に麻原彰晃ら幹部13人の死刑が執行された。