日本の政治行政の中心である東京・永田町や霞が関には長年使われている庁舎がある。国会議事堂は1936年に建てられた。財務省の庁舎は1943年に完成。省内にある診療所のドアのガラス窓には「GHQ CLINIC」とある。財務省の庁舎は戦後およそ10年間にわたってGHQに接収されて使えなくなった時期があった。この他、省内の壁には、かすかに「米軍管理人」「雷登少尉」などと読める文字が残っている。現在の耐震基準を下回っていたため10年以上前には建て替えも検討された。ただ東日本大震災のあとの厳しい財政状況の中で建て替えは難しいとして、大幅にコストを減らせる耐震補強を行って今の建物を使い続けることを決め、今に至っている。このほか、農林水産省や国土交通省も主な業務を完成から半世紀以上たった建物で今も行っている。環境省は機能を1か所に集約するために3年後の移転を予定しているが、移転先は新築の建物ではなくて民間のビルを取得して改装したリノベーション物件になる。日本は歳入の3分の1を国債で賄う形が続いているが、霞が関の庁舎事情からも厳しい財政状況のいったんを垣間見ることができる。