新年を迎えたばかりの日本を襲った震度7の大地震。被害の大きさに深く心を痛めた両陛下。宮内庁は翌日の新年一般参賀を取りやめ、両陛下の被災地訪問に向けた検討を始めた。側近を通じてお見舞いの気持ちを伝えていた天皇陛下は警視庁創立150年記念式典でも被災地への思いを語った。自らの訪問によって、現地の災害対応に支障が出てはいけないと考えていた両陛下。復旧の見通しが立たない中、政府の担当者などから被災地の状況などについて繰り返し説明を受けた。生活に欠かせない水道の復旧の見通しが示された3月下旬、両陛下の訪問が実現。地震による直接被害だけで約100人が亡くなった石川・輪島市では大規模な火災が発生した朝市通りを訪ねた。さらに津波で大きな被害を受けた珠洲市も訪問。その3週間後、両陛下は再び能登半島に向かった。輪島と珠洲に次いで大きな被害を受けた穴水町と能登町への訪問。避難生活を続ける人たちに寄り添い、一人一人と言葉を交わした。復興を心から願ったお見舞いになった。
即位から5年。天皇陛下は国民の中に入り、寄り添うことを目指してきた。春の園遊会の現代芸術家・横尾忠則さんとの懇談では天皇陛下と皇后さまの気配りが分かる場面があった。ネコの画集を出していた横尾さんに見せようと飼い猫の写真を用意していた。写真をきっかけに会話がさらにはずんだ。即位後、「多くの人々と触れ合い直接話を聞く機会を大切にしていきたい」と述べていた天皇陛下。各地を訪ね、交流を始めた最中、新型コロナウイルスの感染拡大という思いもよらぬ事態により、人々と直接触れ合う機会が失われた。こうした状況で人々とのつながりを築き、国民の力になるために何ができるのか。新たな交流の形も模索してきた。行動制限が緩和されると皇室の活動も徐々に再開。両陛下の発案による新たな取り組みも見られるようになった。西洋料理のコースが振る舞われる外国からの賓客との昼食会。日本の文化を知ってもらおうと、和食の前菜などが出されるようになったのもその一つ。6月には、新型コロナの影響で延期されていた国賓としての英国訪問を果たした。皇室と英国王室は古くから親密な関係にあり、相互に訪問を重ねながら交流を続けてきた。明治から大正にかけて日本と同盟を結んでいた英国。大正10年には当時皇太子だった昭和天皇が訪問し、歓待を受けた。しかし、先の大戦では戦火を交えることになった。戦後、英国王室との交流が本格的に再開されたのは昭和28年。エリザベス女王の戴冠式に当時皇太子だった上皇さまが昭和天皇の名代として参列された。昭和46年には昭和天皇も戦後初めての外国訪問でイギリスへ。その4年後にはエリザベス女王も来日した。平成10年には上皇ご夫妻が国賓としてイギリスを訪問した。それからさらに26年、晩餐会で天皇陛下は長い年月をかけ、世代を超えて育んできた両国の関係を自身が好きな登山に例えて述べた。
英国は天皇陛下にとってかつて留学した思い出の地。当時から40年以上親交が続くチャールズ国王から「英国にお帰りなさい」と言葉をかけられた。その後の人生に大きな影響を及ぼしたオックスフォード大学での2年間。皇后さまも外務省時代にオックスフォード大学に留学。思い出が詰まったオックスフォード大学を初めて2人で訪問。天皇陛下が留学中に暮らした学生寮の部屋も訪ねた。
上皇ご夫妻も今年念願を果たした。戦争の記憶をたどる日光への旅。当時、上皇さまが暮らした建物などを見た。夏には長野・軽井沢町にある思い出のテニスコートへ。今年で上皇さまは91歳、上皇后さまは90歳になった。10月、上皇后さまは住まいで転倒して右大腿骨を骨折し、手術を受けた。先月、三笠宮妃百合子さまが亡くなった際の弔問。術後の経過やリハビリは順調で、このあとは杖なしで歩けるまでに回復した。日課の散策も再開し、穏やかに過ごしている。
今年は若い皇族方が相次いで節目を迎えられた。3月に学習院大学を卒業された天皇皇后両陛下の長女・愛子さま。伊勢神宮を参拝し、大学を卒業したことを報告された。初めてのお一人での地方訪問。地元の子どもたちと交流された。4月、日本赤十字社に就職。10月には初めてお一人で地方での公務に臨まれた。国民スポーツ大会の観戦のほか、山あいの工房も訪ねて地域伝統の紙漉きを体験された。秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまは9月に18歳の成年を迎えられた。男性皇族が成年となられたのは父・秋篠宮さま以来39年ぶり。悠仁さまは幼い頃から昆虫やその生育環境に強い関心を持たれてきた。小学校から高校までいずれも学習院以外で学ばれた。今月、筑波大学に進学されることが決まった。高校在学中は毎年、全国高校総合文化祭の開会式に出席して同世代と交流するなど公的な活動にも加わられてきた。姉の佳子さまは今年も様々な立場の人たちに心を寄せられた。障害者のダンスチームとの懇談ではご自身の経験や気持ちを率直に語られた。
皇位継承順位1位の皇嗣の秋篠宮さま。「この1年いろいろなことがありましたが、私としてやはり一番強く印象に残っているのが元日に起こった能登半島の地震」と述べられた。秋篠宮さまと紀子さまは恒例の行事の合間を縫って、それぞれ総裁を務める団体の活動などで被災地を訪ねられた。農業の分野では秋篠宮さまが穴水町の農家を訪ねられた。秋篠宮ご夫妻は今月、トルコを訪問し、国際親善にも尽くされた。外交関係樹立100周年記念式典のお言葉ではオスマン帝国の時代から続く交流の歴史に触れられた。友好の礎となったと語り継がれている明治23年の海難事故。和歌山県沖で軍艦が沈没し、救助にあたった日本側が生存者をトルコまで送り届けた。滞在中、東日本大震災当時の緊急援助隊長など危機に際して互いに助け合ってきた両国の歴史を象徴する人たちと懇談された。
被災地の復旧が徐々に進み始めた9月下旬。能登半島を再び大きな災害が襲った。記録的な大雨で川の氾濫や土砂災害が相次ぎ、仮設住宅も浸水した。地震と豪雨の二重被災。輪島塗などの漆製品に絵や模様を描く蒔絵師の女性は、元日の地震で棚が倒れ自宅にある工房は足の踏み場もない状態に。ようやく工房の片づけに取りかかれた頃に目にした天皇誕生日のニュースに心を動かされた。お二人のそばに能登伝統の輪島塗と珠洲焼の作品が飾られていた。女性は「思いを寄せてくださっているんだなという印象がありました」と述べた。今月17日、天皇皇后両陛下は今年3度目となる能登半島の被災地訪問に臨まれた。豪雨の死者の3分の2にあたる11人が亡くなった輪島市。川の氾濫によって大きな被害が出た地区を訪ねた。二重被災によって再び避難所暮らしを余儀なくされている人たちと言葉を交わされた。来年は阪神淡路大震災から30年。戦後80年の節目。来月には追悼式典出席のため神戸へ。さらに広島、長崎、沖縄への訪問を調整されている。
即位から5年。天皇陛下は国民の中に入り、寄り添うことを目指してきた。春の園遊会の現代芸術家・横尾忠則さんとの懇談では天皇陛下と皇后さまの気配りが分かる場面があった。ネコの画集を出していた横尾さんに見せようと飼い猫の写真を用意していた。写真をきっかけに会話がさらにはずんだ。即位後、「多くの人々と触れ合い直接話を聞く機会を大切にしていきたい」と述べていた天皇陛下。各地を訪ね、交流を始めた最中、新型コロナウイルスの感染拡大という思いもよらぬ事態により、人々と直接触れ合う機会が失われた。こうした状況で人々とのつながりを築き、国民の力になるために何ができるのか。新たな交流の形も模索してきた。行動制限が緩和されると皇室の活動も徐々に再開。両陛下の発案による新たな取り組みも見られるようになった。西洋料理のコースが振る舞われる外国からの賓客との昼食会。日本の文化を知ってもらおうと、和食の前菜などが出されるようになったのもその一つ。6月には、新型コロナの影響で延期されていた国賓としての英国訪問を果たした。皇室と英国王室は古くから親密な関係にあり、相互に訪問を重ねながら交流を続けてきた。明治から大正にかけて日本と同盟を結んでいた英国。大正10年には当時皇太子だった昭和天皇が訪問し、歓待を受けた。しかし、先の大戦では戦火を交えることになった。戦後、英国王室との交流が本格的に再開されたのは昭和28年。エリザベス女王の戴冠式に当時皇太子だった上皇さまが昭和天皇の名代として参列された。昭和46年には昭和天皇も戦後初めての外国訪問でイギリスへ。その4年後にはエリザベス女王も来日した。平成10年には上皇ご夫妻が国賓としてイギリスを訪問した。それからさらに26年、晩餐会で天皇陛下は長い年月をかけ、世代を超えて育んできた両国の関係を自身が好きな登山に例えて述べた。
英国は天皇陛下にとってかつて留学した思い出の地。当時から40年以上親交が続くチャールズ国王から「英国にお帰りなさい」と言葉をかけられた。その後の人生に大きな影響を及ぼしたオックスフォード大学での2年間。皇后さまも外務省時代にオックスフォード大学に留学。思い出が詰まったオックスフォード大学を初めて2人で訪問。天皇陛下が留学中に暮らした学生寮の部屋も訪ねた。
上皇ご夫妻も今年念願を果たした。戦争の記憶をたどる日光への旅。当時、上皇さまが暮らした建物などを見た。夏には長野・軽井沢町にある思い出のテニスコートへ。今年で上皇さまは91歳、上皇后さまは90歳になった。10月、上皇后さまは住まいで転倒して右大腿骨を骨折し、手術を受けた。先月、三笠宮妃百合子さまが亡くなった際の弔問。術後の経過やリハビリは順調で、このあとは杖なしで歩けるまでに回復した。日課の散策も再開し、穏やかに過ごしている。
今年は若い皇族方が相次いで節目を迎えられた。3月に学習院大学を卒業された天皇皇后両陛下の長女・愛子さま。伊勢神宮を参拝し、大学を卒業したことを報告された。初めてのお一人での地方訪問。地元の子どもたちと交流された。4月、日本赤十字社に就職。10月には初めてお一人で地方での公務に臨まれた。国民スポーツ大会の観戦のほか、山あいの工房も訪ねて地域伝統の紙漉きを体験された。秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまは9月に18歳の成年を迎えられた。男性皇族が成年となられたのは父・秋篠宮さま以来39年ぶり。悠仁さまは幼い頃から昆虫やその生育環境に強い関心を持たれてきた。小学校から高校までいずれも学習院以外で学ばれた。今月、筑波大学に進学されることが決まった。高校在学中は毎年、全国高校総合文化祭の開会式に出席して同世代と交流するなど公的な活動にも加わられてきた。姉の佳子さまは今年も様々な立場の人たちに心を寄せられた。障害者のダンスチームとの懇談ではご自身の経験や気持ちを率直に語られた。
皇位継承順位1位の皇嗣の秋篠宮さま。「この1年いろいろなことがありましたが、私としてやはり一番強く印象に残っているのが元日に起こった能登半島の地震」と述べられた。秋篠宮さまと紀子さまは恒例の行事の合間を縫って、それぞれ総裁を務める団体の活動などで被災地を訪ねられた。農業の分野では秋篠宮さまが穴水町の農家を訪ねられた。秋篠宮ご夫妻は今月、トルコを訪問し、国際親善にも尽くされた。外交関係樹立100周年記念式典のお言葉ではオスマン帝国の時代から続く交流の歴史に触れられた。友好の礎となったと語り継がれている明治23年の海難事故。和歌山県沖で軍艦が沈没し、救助にあたった日本側が生存者をトルコまで送り届けた。滞在中、東日本大震災当時の緊急援助隊長など危機に際して互いに助け合ってきた両国の歴史を象徴する人たちと懇談された。
被災地の復旧が徐々に進み始めた9月下旬。能登半島を再び大きな災害が襲った。記録的な大雨で川の氾濫や土砂災害が相次ぎ、仮設住宅も浸水した。地震と豪雨の二重被災。輪島塗などの漆製品に絵や模様を描く蒔絵師の女性は、元日の地震で棚が倒れ自宅にある工房は足の踏み場もない状態に。ようやく工房の片づけに取りかかれた頃に目にした天皇誕生日のニュースに心を動かされた。お二人のそばに能登伝統の輪島塗と珠洲焼の作品が飾られていた。女性は「思いを寄せてくださっているんだなという印象がありました」と述べた。今月17日、天皇皇后両陛下は今年3度目となる能登半島の被災地訪問に臨まれた。豪雨の死者の3分の2にあたる11人が亡くなった輪島市。川の氾濫によって大きな被害が出た地区を訪ねた。二重被災によって再び避難所暮らしを余儀なくされている人たちと言葉を交わされた。来年は阪神淡路大震災から30年。戦後80年の節目。来月には追悼式典出席のため神戸へ。さらに広島、長崎、沖縄への訪問を調整されている。