石川県輪島市では能登半島地震から1年たった今も街なかには被災の爪痕が色濃く残っている。市内でしょうゆの製造会社を経営する谷川貴昭によると、創業から120年続き輪島の味として親しまれたしょうゆを造ってきた老舗の会社だが、その工場は地震で倒壊したという。しょうゆ造りに欠かせない木おけもほとんどが使えなくなった。谷川は4月に解体工事の受け付けが始まるとすぐに市に申請をした。しかし1万件を超える申請に市が十分対応できていなかったことなどから工事の具体的なスケジュールはいまだ示されていない。生活をしていくため手探りで営業を再開した谷川は被害を免れたボイラーを稼働させて米こうじやみそなど商品の一部の製造を再開することにした。主力製品のしょうゆはレシピを市外の業者に託し製造してもらうことにした。さらに都内で開かれたイベントにも出品し製品のPRに取り組んでいる。それでも先月までの売り上げは地震前の去年1年間のおよそ6割程度にとどまり委託製造にかかるコストもかさんでいる。谷川は地震の発生から1年がたとうとする今でも先行きが見えない状況に不安を感じている。石川県によると先月末時点で公費による解体が完了したのは全体の34%ほどで申請が最も多い輪島市では25%ほどとなっている。県の担当者は解体申請の手続きの対応を業者に委託したことで来年11月末までにはすべての解体を終える計画だと話している。谷川は「まずは解体が進まないとその先のことは考えられない」と話している。