今日のタイトルは、「ラスト・イニング 宮崎 vs.沖縄」。宮崎県宮崎市の元・高校球児の三浦健逸さん(79)を取材する。1962年の夏、宮崎県の宮崎大淀高校と、沖縄県の沖縄高校が、甲子園に出場する為の権利を賭けて、試合を行っていた。その宮崎大淀高校の先発投手だったのが、宮崎大淀高校のエースだった三浦さん。一方、沖縄高校の先発投手は、後にプロ野球の広島東洋カープに入団する事となる、安仁屋宗八だった。両エースが投げ合い、試合が続き、沖縄高校が勝利した。これにより、沖縄高校が甲子園への出場を決めて、宮崎大淀高校は甲子園への出場を逃した。現在の三浦さんが、当時の思い出を語った。当時は三浦さんに対して、「宮崎県の恥」という批判もあり、三浦さんは野球の道を諦めたという。一方、安仁屋宗八はその後、広島カープに入団して、通算119勝を挙げ、最優秀防御率のタイトルも獲得し、オールスターゲームにも3回出場するなど、大活躍した。三浦さんが、当時の仲間達に会う為の旅に出た。沖縄県の那覇空港を訪れて、元・沖縄高校の渡名喜守忠さんと再会した。そして一緒に、沖縄県の野球場「沖縄セルラースタジアム那覇」を訪れて、球場の中にある資料館で、昔の沖縄高校に関する資料を見た。その後、飲食店で元・沖縄高校の粟國信光さんに会い、昔の思い出を語り合った。後日、三浦さんは沖縄尚学高校を訪問した。昔の沖縄高校は現在、沖縄尚学高校と名前が変わっている。三浦さんが沖縄尚学高校の野球グラウンドで、安仁屋宗八の思い出を語った。その後、三浦さんが広島県・広島市の野球場、「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」を訪れた。そのグラウンドでは、安仁屋宗八が待っていた。2人が握手やキャッチボールをして、昔の思い出を語り合った。最後に三浦さんが宮崎市に戻り、海岸で孫と一緒に釣りを行い、エンディングとなった。
住所: 沖縄県那覇市字鏡水150
URL: http://www.naha-airport.co.jp/
URL: http://www.naha-airport.co.jp/