TVでた蔵トップ>> キーワード

「野田市」 のテレビ露出情報

関東大震災直後の1923年9月6日、今の千葉県野田市、当時の福田村で起きた「福田村事件」。香川県から来た行商の一行が突如襲われ、女性と子どもを含む9人が殺害された。きっかけは震災後の混乱と、飛び交う流言だった。事件は長く一部で知られるのみだったが、100年がたった去年、事件を題材にした映画など多くのメディアで取り上げられた。今被害者の出身地や現場の地域でも、事件と向き合う動きが少しずつ広がっている。福田村事件について20年以上調査を続けてきた市川正廣さんは、野田市の職員として勤めていたころ初めて事件のことを知ったという。関東大震災の5日後、香川県から来た行商の一行が福田村を通りかかった際、地元の自警団に襲われ9人が亡くなった。一行は震災直後の混乱の中、朝鮮半島出身者と間違えられたことなどをきっかけに襲われたという。国の中央防災会議の報告書によると、当時「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった流言が広がり、多くの朝鮮半島出身者などが殺される事件が各地で起きていた。市川さんは調査を重ね、当時を知る人や遺族に聞き取りを繰り返し、行商の一行がたどってきた足取りなどを明らかにしてきた。隣町で福田村に向かう一行を目撃した人の話からは、見慣れない集団というだけで不安にかられた当時の人々の様子が伝わってきたという。
市川さんたちは、毎年事件が起きた9月6日に合わせて追悼行事を開いてきた。ことし香川県から初めて参加した遺族の谷生和也さんは、事件で殺害された祖父母を悼んだ。自宅には29歳で亡くなった祖父の写真が、今も残されている。被害者の地元でも事件についてはあまり語られず、谷生さんの親も詳しくは教えてくれなかった。谷生さんはことし追悼行事に参列した際、市川さんと初めて会った。長年の調査の話を聞き、事件の背景にあった流言と差別意識の根深さを感じた。
事件から101年、こうした差別意識や流言は今も私たちの身近なところに現れる。能登半島地震でも、SNS上で外国人への差別意識がにじむ投稿が見られた。関東大震災で広がった流言を想起させる、「朝鮮人が井戸に毒」といった投稿。「外国人の強盗団が被災地に来る」といった投稿も、震災の直後から相次いでいた。コメント欄には、投稿に同調するような差別的な反応も。Xでは災害時だけでなく、日常的に差別的な投稿や根拠のない投稿を繰り返しているアカウントもある。事件を調査してきた市川さんも、こうした現状を懸念している。悲劇を繰り返さないために勉強会を開き続け、教育関係者など3000人に事件を伝えてきた。長年活動を続けた結果、去年6月には野田市の市長が初めて公の場で弔意を表明するなど、新たな動きも出始めている。少しずつ事件が知られるようになってきたことで、ことしもう一つの変化があった。市川さんが事件現場の地域の自治会長と初めて会い、事件について直接意見を交わすことができた。101年前の事件を追い続けてきた市川さんの、教訓を伝えるための活動が、現代を生きる人たちの意識に変化をもたらしている。市川さんは来年にも、これまでの調査の記録をまとめた書籍を出版する予定。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年6月10日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーンおとりよせ@千葉
戦後80年を迎える中、戦時中軍部が徹底抗戦を主張するのを抑えて終戦に導いた鈴木貫太郎について伝える。鈴木が晩年を過ごした野田市には鈴木貫太郎記念館があり、市の施設として日記などを展示しているものの台風で被災する中収蔵品の保管が難しいとして休館が続いている。鈴木が総理大臣となったのは1945年4月のことで、水面下で和平工作を進める中ポツダム宣言が出されると受諾[…続きを読む]

2025年5月14日放送 18:10 - 19:00 NHK総合
首都圏ネットワーク(ニュース)
千葉県野田市にある鈴木貫太郎記念館は、鈴木ゆかりの品々や日記などを所蔵している施設だが、6年前から休館が続いている。きっかけは台風による大規模な雨漏りだった。築60年の建物では収蔵品の保管が難しくなり、所蔵資料は別の鈴木貫太郎記念館の収蔵室に移動した。鈴木貫太郎は1945年4月に総理大臣に就任。軍部が徹底抗戦を訴える中、海軍出身でありながら水面下で和平工作を[…続きを読む]

© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.