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「釜石東中学校」 のテレビ露出情報

紺野堅太さんは13年前兄のように慕っていた大切な人を亡くした。当時紺野さんが通っていた釜石東中学校があったのは海から約500メートル。最初に激しい揺れを感じたのは校舎の3階であった。釜石東中学校・鵜住居小学校は日常的に防災訓練が行われていたためこの日も津波に逃れるため訓練通り高台を目指した。紺野さんは「ただ本当に呆然ともう街なくなるんだという感じで見てましたね」などと話した。一緒に避難できた子ども達の数は約570人で釜石の奇跡と称賛されている。しかし紺野さんの思いは複雑であった。紺野は幼馴染を失っていた。釜石市で亡くなった人は912人で152人が行方不明である。紺野さんは当時の状況や教訓を伝える活動を行っている。紺野さんは「どうにかそのとき生きられる方法を備えてほしい」などと話した。
住所: 岩手県釜石市鵜住居町第19地割28-3

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年3月11日放送 2:25 - 3:10 NHK総合
明日をまもるナビ語り部クロス
岩手県釜石市、12年前大津波が街を襲った。死者・行方不明者は1000人を超えた。この街で語り部をする川崎杏樹さん。震災当時は中学2年生。通っていた中学校は津波に飲まれてしまった。川崎さんが津波から逃げた坂道。避難していた小学生たちの手を引き、1.6km先の高台まで必死で走った。川崎さんが高台から見た当時の光景を語った。あの日の記憶を伝えていきたい。川崎さんは[…続きを読む]

2024年3月11日放送 0:55 - 1:50 日本テレビ
NNNドキュメント(東日本大震災13年 生きる支え 私のこれまでとこれから)
盛岡市の交番で勤務する海藤さん。祖母のミネ子さんは津波で今も行方不明のまま。海藤さんが通っていた鵜住居小学校と隣に建っていた釜石東中学校の跡地にはラグビーのスタジアムが作られた。当時、小学校にいた海藤さんたちは中学生たちと一緒に避難したという。祖母のミネ子さんは踊りの会を率いて多くの弟子を抱えていて、祖母を訪ねて自宅は来客が絶えなかったという。祖母は津波の時[…続きを読む]

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