藤本弘は30歳の時、5作品を4雑誌で連載していた。多忙を極める中、1963年にトキワ荘のメンバーでアニメ会社「スタジオゼロ」を立ち上げる。初代社長の鈴木伸一さんはラーメン大好き小池さんのモデル。鈴木さんが証言する藤本のいたずらエピソードを紹介。あるとき藤本はUFOの写真を撮ったと見せてきたが実際はUFOの切り抜き写真をガラスに載せて撮影したものだった。鉄腕アトムの下請け依頼を受け、藤本らは寝る間を惜しんで作業に没頭した。その第34話は今もファンの間で伝説として語り継がれている。鈴木さんは「鉄腕アトムは失敗でしょうね、キャラクターがバラバラになっちゃった」「やっぱり漫画家はクセがあって漫画家なんですよ」と話した。藤本もアニメの難しさを痛感し、徹子の部屋では「アニメは別の才能だとわかった」と語っている。スタジオゼロの社長はあみだくじで決定していた。二代目はつのだじろう、三代目は藤子・F・不二雄、四代目は石ノ森章太郎だった。経費は漫画家から回収していた。林はチャレンジがあったからこそ、その後の発展に繋がったとコメントした。